●平城天皇 へいぜいてんのう
アジア 日本 AD774 奈良時代
774〜824(宝亀5〜天長1)第51代天皇。在位806〜809(大同1〜4)。桓武天皇の第1皇子で名を安殿(あて)親王という。母は皇后藤原乙漏(おとむろ)。785年(延暦4),皇太子となり,806年(延暦25),桓武天皇の崩御により即位。即位後大同と改元,積極的な政治姿勢を示し,翌年,畿内と七道に観察使を置いて地方行政の監督を厳重にし,中央の役所の統廃合を断行して朝廷財政の引き締めを行った。一方,生来の病身のためか猜疑心が強く,父桓武天皇の寵愛ふかかった異母弟伊予親王に謀反の嫌疑をかけ,807年(大同2),自刃に追いこんだ。809年(大同4),同母弟の嵯峨天皇に譲位し上皇となる。その後,在位時代に寵愛した藤原薬子(くすこ)とその兄仲成らの策謀に乗り,平城京で復位をはかって失敗,薙髪して仏門に入った。仲成は誅され,薬子は服毒して死んだ(薬子の乱)。陵墓は奈良市佐紀町にあり,楊梅陵と呼ばれる。