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●文明開化 ぶんめいかいか

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 明治維新後,王政復古の号令のもと,版籍奉還廃藩置県を行い,中央集権国家の基礎を確立した明治政府は,富国強兵・殖産興業そして文明開化をスローガンとし,日本の近代化をはかった。西洋文明の移入採用は国策となり,岩倉具視・木戸孝允・大久保利通ら政府首脳の欧米視察をはじめ海外留学は流行し,また多数の外国人が各分野の指導に雇い入れられた。その結果として欧米の近代的技術・風俗習慣などが急激に流入してきた。電信・鉄道・郵便などの近代的交通機関の採用や,近代工場の経営・学制公布・太陽暦の採用,軍人・官吏などの洋服の着用,洋風の食事の奨励,また洋風建築もそこここにみられるようになった。このような明治初年の近代化現象を総称して“文明開化”という。これを各項に分けてみると次のようになる。

【殖産興業】富国強兵の基礎として,殖産興業は最も重視された。幕末すでに有力な藩では洋式工業が試みられたし,また大阪ではカンパニー(商社)が設立されたが,明治政府は大久保利通を中心に,その確立発展を助長した。1890年(明治3)の回漕会社(半官半民の海運業)設立をはじめ,1892年(明治5)の国立銀行の設立,東京−横浜間の鉄道開通,また郵便・電信・電話はもちろん,鉱山・機械・セメント・ガラス・れんが・製糸・紡績さらに農牧場まで官営をもって模範を示すとともに,「会社弁」「立会略則」を大蔵省から公刊し,民間の会社企業を奨励した。また,れんが造2階建の並ぶ街頭(東京銀座)には,ガス灯がともり,街には人力車や鉄道馬車も走りはじめた。

【政治・制度】議事体裁取調所が議会制度調査のために設置され,公議所・集議院も不完全ながらその方向への前進を始めた。祭政一致の方針をとりながらも,政治運用については先進国の法制が研究され,文部省・司法省・大学南校などの政府機関のほか民間でもその翻訳出版が行われた。こうして〈学は身の財本〉であるとうたう学制の公布を初めとするさまざまの制度が漸次確立されていったのである。

【思想】加藤弘之の「真政大意」「国体新論」は立憲政体・天賦人権を強調して有名であるが,石井南橋の「明治の光」のように,俗語で自主自由・権利義務を大衆向きに説くものも少なくなかった。また『自由之理』『万法精理』『法の精神』『民約論』などが相次いで翻訳紹介され,啓蒙的役割を大いに果たし,藩閥専制政治の排除を要望する国民のため,自由民権運動の理論的基礎を形成していった。また,1873年(明治6)アメリカから帰国した森有礼(もりありのり)は,西洋文明国流の学会・啓蒙活動の団体を日本に設立するために発起し,まず西村茂樹(にしむらしげき)にはかり,のち福沢諭吉(ふくざわゆきち)・西周(にしあまね)・津田真道(つだまみち)・神田孝平(かんだたかひら)・加藤弘之らの賛成を得て,“明六社(めいろくしゃ)”を発足させた。初代社長には森有礼がなり,会員は約30名,社員は主として幕府の開成所出身の洋学者であり,当時の指導的な新知識人であった。機関誌「明六雑誌」を発行,毎月2回講演会を開催,広く国民の文化的啓蒙を目的とし,新旧思想の混乱に指針を与えた。

【生活様式・風俗】衣食住の改善も行われ,洋服の着用が幕府の洋式軍隊から始まり,獣肉食を禁じられていた日本人も,安愚楽鍋(あぐらなべ)なる牛鍋を食しはじめた。また外国人から未開と軽べつされぬために,男女の混浴は禁止され,性の純潔が重んじられ武士の帯刀も廃止された。頭髪は,〈ざんぎり頭をたたいてみれば,文明開化の音がする〉とうたわれたように,散髪令が布告され,結婚とともに歯を染める風習がすたれ,セッケンの使用もひろまった。さらに太陰暦を廃止して太陽暦も採用されることになった。以上のような結果,進歩した欧米の近代的所産の技術・風俗習慣は確かに日本に移入したが,それは都会的であり,国民全体に容易には浸透しなかった。また,政府の政策が技術面や表象面の近代化を中心として展開するものであったために,それを生んだ西欧の精神面や思想面の採用は,決して十分とはいえなかった。

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