●文天祥 ぶんてんしょう
アジア 中華人民共和国 AD1236 南宋
1236〜82(端平3〜至元19)南宋末の忠臣。字は宋瑞または履善,文山と号した。江西省吉水の人。20歳で進士に合格,1259年(開慶1)元軍が四川に侵入したとき,遷都が議せられると,彼は一人これに反対し,即日免官になった。その後,復職するも賈似道と合わず辞職した。1273年(咸淳9)ふたたび復職,時に元軍が臨安府(杭州)に迫ったので,詔に応じて臨安府防衛に参加した。1276年(景炎1)右丞相兼枢密使となり,元の総帥伯顔(ばやん)と和を講じ,抗論して捕えられた。その間に宋朝は滅んだが,彼は敵中より脱走し,1278年(祥興1)元軍に捕えられるまでの3年間,福建・広東の各地に転戦,宋朝復興のために元軍に抗戦した。1279年(祥興2)宋軍が崖山で全滅したが,彼は降服の勧誘に屈せず,ついに元の都,大都(北京)に送られ,在獄3年の後,死刑になった。刑に臨んでつくった「正気の歌」に代表される彼の気概は後々称揚されている。