●文治主義 ぶんちしゅぎ
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武断主義の対。『礼記』祭法に〈文王は文治をもってし,武王は武功をもってす〉とあるように,教化や法令によって政治を行うこと。文政ともいう。中国歴代の王朝のなかで960〜1279年(宋代)は文治主義の政治が行われたことで名高い。宋の太祖趙匡胤は960年に宋を建国し,次の太宗にいたって979年に中国を統一したが,これは唐末五代の節度使体制,つまり武断主義的な政治体制を解体させ,中央集権的な文官優位の国家体制を樹立したのであった。趙匡胤は従来の節度使体制を解体するため,まず節度使の軍事力の削減をはかり,節度使をほかの治所に移したり,節度使の有力兵士を中央の禁軍に改編させたりしてその弱体化をはかり,一方で,中央から文官を派遣して地方政治を文官の支配下におき,徐々に節度使の民政・財政・軍事の3権力を奪ったのであった。宋代は禁軍は多かったものの,一般に軍事力が弱く,外敵に対抗できず,文弱であった。