●豊後 ぶんご
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もと豊(とよ)の国に属す。文武朝のころ,分立したと考えられている。『豊後国風土記』や『延喜式』によれば,日田・球珠・直入(おおり)・大野・海部・大分・速見・国埼の8郡よりなる。瀬戸内を介して,中央の文化と結ばれ,大陸との交渉も盛んであった。平安時代から鎌倉期にかけて臼杵(うすき)・国東半島の磨崖仏富貴寺をはじめ,独自の仏教文化が発展した。源平の合戦では,臼杵氏,緒方氏は源氏方として活躍した。鎌倉時代は一時関東御分国となったが,のちに大友能直が豊後守護となり,一族の分割統治を行った。戦国時代,大友宗麟はキリシタン大名として,ヤソ教の伝導をたすけ,コレジオ・セミナリオなどを開設し,西洋文化の導入地として栄えた。秀吉の九州平定後,朝鮮出兵に際し,大友義統は秀吉の怒りに触れ,所領を没収され,大友氏の豊後支配は終止符をうつこととなった。近世では日田は天領とされ,あとは竹田・佐伯・臼杵・日出・森・府内・杵築などの小藩に分割領地された。廃藩置県後,岡・臼杵・杵築・日出・府内・佐伯・森の各県となったが,1876年(明治9)に大分県に統合された。〔参考文献〕『大分県史』