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●分家 ぶんけ

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 本家から分かれた家を分家という。一般には,本家を離れて新しい家を創設することであり,農村の慣行では次男以下の家族が土地家屋などの経済的保障のもとに独立することであったが,明治民法では,単に戸籍を分かつことを分家と規定した。ある社会で新しい家の創立が可能かどうかは,時代や地域の社会的・経済的な影響を多分に受けるであろう。たとえば,古代から中世にかけて,新しい耕地が開墾され著しく増加した社会では,労働の単位としての家が次々と分立したであろうが,近世になって検地や身分制度が行われると移住が制限されたうえ,村落内の人口も飽和状態となり,新しい家の分立は困難となった。飛騨の白川郷などは分家の慣行の古い大家族制を保存してきたが,次男以下の傍系男子はあたかも隷属民のごとき地位に甘んじ,経済的な独立もなく,正式の結婚すら禁じられていた。以上は農村の事情であるが,武家社会では多少異なる。すなわち,本家・分家を一団とする父系の系譜関係による封建的な同族(一門)意識が強いことである。発生の初期においては主家への従属意識が強かったが,時代とともに薄れ,江戸時代の武家社会では従属意識は弱まった。中世から近世初頭にかけて,一門による領土拡大が意図された時点では,辺縁の開発のため分家の出されることが盛んだった。これはのち“村外分家”と呼ばれる慣行として農村に残されるが,近世以降においては“村内分家”と比較して,同族意識は非常に弱いものとなった。江戸期にはまた分知と呼ばれる慣行があり,この場合,新しく創立された家を末家と称した。農村や武家のほかには,商家において,分家に類似した慣行として“暖簾分け”がある。江戸から明治期に典型的な慣行であるが,出自を同じくする系譜関係は,“血縁分家”にしろ“奉公人分家”にしろ“暖簾内”として強い連帯感を有していたが,戦後ほとんど消滅した。

 本家・分家は,世代によらずその地位が一定している場合と,世代により変動する場合とがあるものの,その序列には系譜関係による地位の確認といった傾向がみられる。本家・分家の一団がすなわち同族であるが,家は社会構成の単位であり,同族は祭祀・祭神を同じくし,かつまた日本特有の祖霊信仰の問題もそこに関連をもつなど,同族・本家・分家の研究は,民俗学の重要な課題である。

 本家と分家の交流については,本家が同族の中心である以上,分家を従える傾向がみられるのは当然であろう。年中行事において,たとえば正月には分家そろって本家へ年始に行く,仏壇は本家に置き彼岸や盆には墓参をかねて本家へ集まる,あるいは分家の冠婚葬祭の儀式では本家が音頭をとるなど,意外と身近にその残響を知ることができる。ちなみに現在の民法では分家の規定はないが,同様の慣行上の問題として,婚姻転出による除籍と新戸籍の編製・遺産相続などがあげられよう。次に分家の3態をあげる。

隠居分家】隠居する親が本家を長男にゆずり,自分は分家である次男以下の家庭へ移り住むことを隠居分家という。中部以西とくに西南日本に特長的な慣行とはいえ,そもそも隠居とは親が長男に家督をゆずることであり,その親が老後をどこで暮らすかと考えるなら,かつては隠居と分家とが密接に関連していたことが推察されよう。隠居分家は一般分家(傍系男子の分家)に比して財産をより多く相続できるのが通例である。

【婿養子分家】男子がありながら娘に婿養子を迎えて分家させる風は,戦前にはわりに多い慣行であった。もっとも東北地方では労働力の補強として婿養子を取り,しばらく本家で働かせることが多かった。北陸地方の裕福な商家では,一家一族の繁栄を願い,姉娘に婿養子を迎える事例が多かった。

【奉公人分家】前出の暖簾分けの段の奉公人分家とともに,隷属的な奉公人や小作人を実子に準じて分家とし系譜関係に組み入れることをいう。非血縁分家の代表的なもの。ちなみに“隠居分家”“婿養子分家”は一般分家とともに血縁分家と呼ばれる。