●文化文政時代 ぶんかぶんせいじだい
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寛政改革に当たった老中松平定信の失脚(1793)から天保改革の開始(1841)まで約50年間を文化文政時代(略して化政時代)という。11代将軍徳川家斉の治世で,彼は隠居後も大御所として実権を握ったので大御所時代ともいう。老中松平信明を中心に寛政改革の方針を受け継いだ文化年間(1804〜17),老中水野忠成を中心に放漫な政治が展開された文政年間(1818〜29),大飢饉がつづき一揆・打ちこわしの激増をみた天保期(1830〜43)と,3期に分けることができる。しかし,文化・文政年間の表面上やや穏やかな世情がつづき,庶民文化の興隆(化政文化)をみた時期のみをさす場合もある。【商品経済の進展】商品の生産と流通は発展し,貨幣経済は全国農村に浸透した。近畿や瀬戸内地方が中心の綿作は,東海・関東・山陰などに拡大し,養蚕地域も全国にひろまった。これまで後進地であった関東地方でも綿作・養蚕のほか菜種づくりが,江戸の周りでは蔬菜づくりが活発となった。手工業(加工業)が各地におこり,桐生・足利の絹織物業,野田・銚子の醤油,川口の鋳物業などは関東手工業の代表的例である。こうしたなかで各地に商品の集荷・販売,あるいは加工業をいとなむ在郷商人が成長してきた。彼らは幕府の保護を受け特権をもつ都市の問屋株仲間と対立,取引の自由を主張し,幕府の流通統制を脅かした。大坂周辺農村でおきた文政の国訴はその象徴的事例である。なお,綿・絹織物業や酒造業ではマニュファクチュアもみられるようになった。
【財政の混乱】生産者や在郷商人が取引の自由を求めるようになると,都市の特権株仲間を媒介としてはかられてきた幕府の市場統制が思うようにできなくなった。化政期における米価の下落と一般商品の高価格で,幕府諸藩の財政はますます苦しくなった。幕府は江戸の十組問屋仲間を強化して市場統制をはかった(杉本茂十郎の建議と活動)が効果はあがらなかった。農村の変化によって徴税の強化もできず,老中水野忠成は8回も貨幣改鋳を行い,その益金でかろうじて財政を支えたが将軍家斉とその関係者の奢侈的生活,市場安定・本百姓維持のための公金貸付,新田開発などで財政は苦しくなる一方であった。幕府はまた,社会変動のなか,無宿や博徒の横行で治安が乱れてきた関東地方を治めるため関東取締出役を設け,農民の生活状態を調査するなど新しい支配策を取りつつあった。
【庶民文化の発展】商品経済の全国的発展,在郷商人の活動,三都における出版業の発達と地方書商の活動など相関して,全国的な規模で各種の文化活動が盛りあがった。寺子屋教育が普及し庶民の識字能力が向上した。また,庶民の商用や寺社参詣の旅行が盛んになった。時事情報の流通も活発となり,寛政改革で取り締まられた読売り(かわら版)の発行も文政年間以後激増の一途をたどり,庶民の社会的視野が拡大し,情報関心も著しく高まった。1837年(天保8)の大塩の乱についての情報はかつてなくひろがり,社会各層に衝撃を与えた。都市の庶民の文化活動はいっそう活発となり,とくに江戸では人口集中がすすみ,中下層の町人まで観劇・名所遊覧・読書・寺社参詣など文化受容活動を展開し,特色ある化政文化が進展した。
【社会的矛盾の拡大】商品経済の発展・重税政策の継続などで農村の貧富の差の拡大はいよいよすすみ,没落農民の増加と富農・在郷商人の地主化が顕著になった。村方騒動が頻発し,とくに天保年間に入ると大飢饉が連年つづき,百姓一揆・打ちこわしが頻発し,なかには世直しを唱える一揆も現れた。一方,異国船の接近が顕著になり,ラックスマン・レザノフの通商要求,蝦夷地における日露の紛争,フェートン号事件・モリソン号事件など鎖国政策を根本から脅かす諸事件がおこっている。こうした幕藩体制の動揺を支配者は「内憂外患」ととらえ,幕府でも諸藩でも政治改革を指向するようになった。
〔参考文献〕『近世』4,岩波講座日本歴史12,1976,岩波書店