●文化財 ぶんかざい
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【文化財の概念と領域】文化財は広義には,文化活動の所産としての諸事象あるいは諸活動をいうが,狭義には,文化財保護法の保護対象としての「文化財」をさす。ほぼ,後者の概念が定着している。同法によると,文化財は,〈わが国の歴史・文化等の正しい理解のために欠くことのできないものであり,かつ,将来の文化の向上発展の基礎をなすもの〉とし(第3条),その保存と活用に関して政府・地方公共団体の責任を明確にし,文化財所有者らの自覚と努力,一般国民の協力を要請している。文化財は,有形文化財・無形文化財・民俗文化財・記念物・伝統的建造物群に分けられる(同法第2条)。いずれも,わが国における先人の活動の所産であるものやそれと深くかかわる自然の所産である。[1]有形文化財 建造物・絵画・彫刻・工芸品・書跡・典籍・古文書そのほか有形の文化的所産で歴史上または芸術上価値の高いものならびに考古資料およびそのほかの学術上価値の高い歴史資料である(同条1項)。白水(しらみず)阿弥陀堂(福島)・東照宮陽明門(栃木)・円覚寺舎利殿(しゃりでん,神奈川)・平等院鳳凰堂(京都)・東大寺南大門(奈良)・姫路城(兵庫)・金剛三昧院多宝塔(こんごうさんまいいんたほうとう,和歌山)・厳島(いつくしま)神社本社(広島)などの建造物や,紫紙金字金光明最勝王経(ししきんじこんこうみょうさいしょうおうぎょう,国)・玉虫厨子(奈良法隆寺)・天寿国繍帳(同中宮寺)・木造金剛力士立像(同東大寺南大門)・平家納経(ヘいけのうきょう,広島厳島神社)などは美術工芸品の例である。建造物は,当初古社寺のものが対象とされたが,しだいに近世の民家や近代の洋風建築までおよんできた。西欧の建造物が石造を主体とするのに対して,わが国では風土に適した木造であった。美術工芸品も,古代・中世の仏教美術品中心から,各時代・各分野のものに広げられた。紙・布・木・竹・金属・皮などを材料として使用し,繊細な技術をもって製作されたものが多い。それだけに,資材の調達・修理技術の継承・保存施設の整備などについての配慮が必要である。有形文化財は,寺社や個人に所有されるものが多い。文化財は「国民的財産」であるだけに,所有者のみに修理・管理などの過大な負担をさせるのは適当でなく,経費の公的助成が行われる。また,「秘蔵」されない,適度の公開による文化的活用がのぞまれる。
[2]無形文化財 演劇・音楽・工芸技術そのほか無形の文化的所産で歴史上または芸術上価値の高いものである(同条2項)。能楽・文楽・歌舞伎・音楽(地唄・箏曲・長唄・三味線・浄瑠璃・尺八)・舞踊・雅楽・人形浄瑠璃文楽や陶芸(志野・瀬戸黒・備前焼・萩焼)・染織(唐組・友禅・型染絵・正藍染・献上博多織)・漆芸(蒔絵・彫漆・沈金)・金工(日本刀,肥後象嵌(ひごぞうがん)・透(すかし)・木竹工・人形・手漉(てすき)和紙(越前奉書・雁皮紙)・結城紬・久留米絣・石州半紙・本美濃紙・色鍋島・柿右衛門などはその例である。これらの伝統芸能や工芸技術の「わざ」は,特定の家を中心に継承されてきたものが多い。公開・記録作成・伝承者養成などについて公費助成が行われる。国立劇場・国立能楽堂・国立文楽劇場が相次いで建設され,伝統芸能保存・公開のための中核的施設となりつつある。 [3]民俗文化財 衣食住・生業・信仰・年中行事などに関する風俗慣習・民俗芸能およびこれらに用いられる衣服・器具・家屋そのほかの物件でわが国民の生活の推移の理解のために欠くことのできないものである(同条3項)。アイヌの生活用具コレクション(北海道)・八郎潟漁撈用具(秋田)・秩父祭屋台(埼玉)・輪島塗の製作用具(石川)・祇園祭山鉾(京都)・灘の酒造用具(兵庫)・元興寺庶民信仰資料(奈良)・川東(かわひがし)のはやし田用具(広島)・長門の捕鯨用具(山口)・祖谷(いや)の蔓橋(徳島)などの有形民俗文化財や毛越寺(もうつじ)の延年(岩手)・日立風流(ふりゅう)物(茨城)・鬼来迎(千葉)・板橋の田遊び(東京)・花祭(愛知)・淡路人形浄瑠璃(兵庫)・佐陀神能(島根)・綾子踊(香川)・米良神楽(宮崎)などの無形民俗文化財はその例である。これらは風土にもとづく生活に密着しており,特定の個人や団体というより地域全体として継承される場合が多い。有形民俗文化財に対しては,有形文化財に準じた保護が行われる。しかし,領域が広範で未指定のままの物件も少なくない。地方歴史民俗資料館は,これらを含めた有形民俗文化財の保護の拠点施設として期待されている。無形民俗文化財は,その保存が生活向上を阻害する側面のあることや,自然的に発生し消滅する性質のものを意図的に保存することの意味が疑われて,長らく記録作成の措置にとどめられていたが,最近の急速な生活様式の変化などのために消滅も著しく,1975年(昭和50)に指定制度が導入された。全国あるいはブロックごとの民俗芸能大会は,その保存と公開に成果をあげている。
[4]記念物 貝づか・古墳・都城跡・城跡・旧宅そのほかの遺跡で歴史上または学術上価値の高いもの(史跡)・庭園・橋梁・峡谷・海浜・山岳そのほかの名勝地で芸術上または観賞上価値の高いもの(名勝),ならびに動物・植物および地質鉱物で学術上価値の高いもの(天然記念物)である(同条4項)。史跡の例としては,五稜郭跡(北海道)・多賀城跡(宮城)・旧弘道館(茨城)・江戸城跡(東京)・登呂遺跡(静岡)・一乗谷朝倉氏遺跡(福井)・平城宮跡(奈良)・高松塚古墳(同)・大宰府跡(福岡)・西都原(さいとばる)古墳群(宮崎)などがある。名勝には,松島(宮城)・富士山(静岡)・天橋立(京都)・瀞(どろ)八丁(和歌山)・厳島(広島)など自然的なものや鹿苑寺(ろくおんじ)・慈照寺・天龍寺・西芳寺(さいほうじ)などの庭園(いずれも京都),岡山後楽園(岡山)・栗林公園(香川)など人文的なものがある。阿寒湖のマリモ(北海道)・釧路のタンチョウおよび繁殖地(同)・日光杉並木街道(栃木)・屋久島のスギ原始林(鹿児島)・カモシカ・トキ・オオサンショウウオ・コウノトリなどは天然記念物の例である。名勝や天然記念物は,自然的要素に人文的要素が加わったものである。文化財の内容を人間の文化活動の所産に限らず,自然的なものを加えたことは,文化のよって立つ基盤までも対象にとりいれたものとして重要な意味をもつ。動物・植物は生物的自然の世界をそのまま存続させることが重要でありながら,人間の自然への働きかけの激しさからこれが許されなくなりつつある。すなわち,大規模な開発行為に対応するためには,強力な保護の手だてが要請されている。天然記念物のほか史跡・名勝は,土地にかかわる文化財であるだけに,ほかの利用との関係で問題が生じやすい。埋蔵文化財は,土地に埋蔵されている文化財のことであり,文化財の種類というより,状態をさす。周知の埋蔵文化財包蔵地以外でも,開発行為などで突然に発見される場合が多く,指定をまたないで発見と同時に一定の法的効果を生じるようにされている。埋蔵文化財の保護も開発行為もともに「公共の福祉」をめざして行われる場合が多く,両者の事前の調整が何より求められる。
[5]伝統的建造物群 周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いものである(同条5項)。妻籠宿(長野)・祇園新橋(京都)・神戸北野町山本通(兵庫)・倉敷川畔(岡山)・竹原(広島)・萩市堀内(山口)はその例である。従来は,主要な建物が有形文化財として点的に保護されていたのを,一歩すすめて面的保護に発展させたものである。
【文化財保護の歴史】明治初期の西欧文化の受容は,一方においてわが国の近代化に大きな役割を果たしたが,他方において伝統文化軽視の風潮を招いた。また廃仏毀釈運動は,仏教関係美術品の保存に大きな影響をおよぼし,民俗芸能もこのときに失われたり,変形したものが多い。このような状況のなかで,1871年(明治4)5月23日「古器旧物保存方」についての太政官布告が出され,古美術品の品目および所蔵者名を地方官庁から差出すこととしたのが,法制としての始まりである。1897年(明治30)6月5日の古社寺保存法は,古社寺の所有する建物および宝物類に対する保護をはかったもので,保存金下付が定められるとともに,特別保護建造物または国宝資格のあるものを定め,実質的な指定制度が発足した。1919年(大正8)4月10日史蹟名勝天然紀念物保存法が制定され,それまで保護対象になっていなかった史跡・名勝・天然記念物の現状変更・環境保全・立入調査などについて法的規制がとられることになった。1929年(昭和4)3月28日の国宝保存法は,従来の古社寺保存法を拡充し,公共団体や民間の所有する美術品にも指定制度がおよぶことになった。1933年(昭和8)4月1日の重要美術品等の保存に関する法律は,国宝以外の美術上貴重な価値ある文化財の海外流出を防止しようとして認定制度を定めたものである。
1950年(昭和25)5月30日に議員提案で立法された文化財保護法は,これら先行の法令を継承しながら,日本国憲法の精神にもとづき編成かえしたものである。有形文化財・記念物に加えて無形文化財・埋蔵文化財の規定を設け,保護対象を拡大するとともに,民衆のかかわる文化財に目が向けられることになった。従来の国宝は,一律に重要文化財とし,そのなかからとくに価値の高いものを改めて国宝に指定した。同様に,史跡名勝天然記念物のなかから特別史跡名勝天然記念物が定められた。所轄官庁としては,文部省の外局に文化財保護委員会が設置された。地方自治の立場から,都道府県や市町村など地方公共団体も文化財保護に関する行政を担当することになった。国の委任事務のほかに,地方公共団体が文化財保護条例を定めて,区域内に存在する重要な文化財の保護を行うこととなったのである。
その後,情勢の推移に対応して2度の法改正が行われた。1954年(昭和29)5月29日の改正では,[1]重要文化財について新たに管理団体の制度を設ける,[2]無形文化財について新たに指定制度を設ける等保護規定を整備強化する,[3]民俗資料の保護に関する制度を有形文化財の保護に関する制度から切り離して確立する,[4]異議申立の制度等史跡名勝天然記念物等の保護と所有権等の財産権およびほかの公益との調整に関する規定を設ける,[5]史跡名勝記念物の無断現状変更等に対し,原状回復命令の制度を設けるとともに,刑罰を課しうるものとする,を主要な点として実施された。1975年(昭和50)7月1日の改正は,[1]民俗資料の名称を民俗文化財に改めるとともに,民俗芸能を民俗文化財のなかに統一的に位置づける。また,無形の民俗文化財に指定制度を設ける,[2]土木工事等との関係において消滅の危険の多い埋蔵文化財に関する制度を整備する,[3]宿場町・門前町・城下町,明治洋風の建築群等,建築後相当年数を経過した伝統的建造物群保存地区制度を設ける,[4]文化財の保存のために欠くことのできない伝統的技術・技能について保護制度を設ける,[5]都道府県に,文化財専門委員制度に代わる文化財保護審議会や所有者・住民らに対して文化財保護についての指導・助言,愛護思想の普及を行う文化財保護指導員を置くことができる,などを主要な内容とするものであった。なお,この間の1968年(昭和43)6月15日,文化財保護委員会が廃止され,その権限は文部大臣および新設された文化庁長官に移された。
【文化財指定の状況】文化財保護法や地方公共団体の条例による指定を受けなくても,所有者や地域住民らの自主的努力によって保存・活用されている文化財も少なくない。最近は,「まちづくり」運動のなかへ位置づけるなど新しい傾向もみられ始めている。しかし,国や地方公共団体が,法的・財政的に保護にかかわろうとする場合には,指定が前提となる場合が多い。指定は,その基準による価値の重要性と保護の緊急性を勘案して行われる。
なお,国指定件数を超える都道府県指定文化財が存在している。未指定文化財を含めた文化財が,国民共有の財産として継承され,将来にわたって発展させられることが何より重要である。そのためには,文化財保護法のみならず,関連する法令との総合的運用によって,さらに実効を高めることが望まれる。それにもまして,国民一人一人が,文化財保護についてなおいっそう理解を深め,自主的に活動を展開したり,これに協力するようになれば,その保護の内容は充実し,格段の前進を遂げることができよう。
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