●文化圏 ぶんかけん
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この語の定義づけは一概にはいえないが,1972年(昭和47)の文部省刊『高等学校学習指導要領解説』167ページに示されている〈言語,宗教,思想,政治,経済および生活様式などの面での,ある種の地域的なまとまりを総称して使用している〉が,ほぼ妥当なように思われる。この場合の文化には,人類が創造的な意志をもって行動した過程,およびその所産のすべてが包含される。したがって,原理的には,アウストラロピテクスがカフ文化を創造した約300万年ばかり前から現在までのあいだにおいて,人類のつくりだした精神的・物質的所産は,すべて文化の範疇に含まれることになる。この点,いわゆる文明とは,若干ニュアンスを異にしている。文明すなわち civilization は,野蛮人を開化するとか教化するとかの意味をもつ動詞 civilize の名詞形で,どちらかといえば,文化の物質的な面を表し,さらにいうならば,産業革命以降におけるヨーロッパの先進的物質文化に触発されてからつくられた語であるように思われる。わが国の明治期に流行した“文明開化”という新語は,欧米風の近代文化を志向する当時の合ことばであるが,大正・昭和と時代が下降するにつれてしだいに使われなくなり,文明に代わって文化の語が一般に用いられるようになった。この推移にてらしても,このあいだの消息をうかがうことができるであろう。つまり,物質生活上における日本の近代化が進み,欧米から摂取するものが減少したことの反映として,知らず知らずのうちに古典的な文明という語を用いなくなったと解されるのである。もちろん,これは一つの解釈にしかすぎず,現在もなお両者を同義語として使用している場合も見受けられる。ただ,学校教育においては,理解の混乱を避ける建前からいって,可能な限り統一化を図ることが望ましい。すでに1960年版の指導要領においても,このような配慮にもとづき,文明の語はいわゆる四大河川文明についてだけ使用し,そのほかはすべて文化で統一している。1970年版では,この統一化をさらに一歩進めて,文明の語をいっさい用いないことにし,それ以降ずっとこの方針が踏襲されている。【文化圏学習を採択した経緯】戦後の一時期,世界史は在来の東洋史と西洋史を機械的に併立させる形で構成された。だが,これはあまりにも便宜的であり,本来の世界史とはほど遠いものがあった。そこで,当時の思想界を風靡したマルキシズムの発展段階理論を援用し,東・西両洋の歴史をこの理論にもとづいて叙述しようとする動きが活発になってきた。だが,これに対しては,学問的立場からはもちろん,現場の授業面からも異論が続出した。数次にわたる指導要領の改訂は,このような実態を踏まえながら,あるべき世界史像を構想するための試行であり,1970年の第3次改訂時における文化圏学習も,この一環にほかならない。文化圏学習については,従来の学習指導要領の内容においても,かなりの配慮がなされていたが,指導要領に公然と学習の位置づけを提示して,世界史教育の改善を謳うにいたったのは,第3次の改訂からである。この決定については,少なくとも以下の3点が考えられる。[1]第3次の改訂では,指導内容の精選が強く要求され,その方針に沿って,世界史に割り当てられた単位が,これまでの4ないし5から標準単位3に縮減された。[2]世界史に包摂される内容は,文字通り尨大多岐にわたり,これを効果的に生徒に理解させるためには,ある種の方針にもとづいて整理を試みる必要がある。[3]記述内容の適正なバランスを図る必要がある。従来の教科書を一見して察知されるごとく,アジア関係では,中国プロパーの歴史がほとんど大部分を占めており,また,アジア関係と欧米関係の比率では,後者が前者をはるかに上回っている。中国プロパーが重視されるにいたったのは,中国がアジア地域において歴史的に重要な地位を占めていたこと,日中間の関係交渉が歴史的にきわめて長くつづいたこと,中国関係の豊富な史料に加え多岐にわたる研究の蓄積があること,などがあげられるであろう。だが,これらにもまして注目しなければならないのは,明治期以降における日本の対中国態度である。周知のごとく,わが国の中国研究は日清戦争後急に活発となり,中等学校において東洋史が初めて正課として義務づけられるようになった。つまり,日清戦争後,わが国の大陸政策が本格化し,朝鮮・満州・中国というふうに,国民の関心が大陸に向かった時期と併行して,中国プロパーを中心とする東アジアの研究が活発になり,その研究成果がそのまま教育の場に反映される風を馴致するにいたったのである。いわば,国策と研究・教育が密接につながり,東洋史即中国史という傾向を生み,しかもこの風が,やがて十五年戦争を孕む土壌として利用されるようになっていくのである。とまれ,中国史偏重のこの風は,あるべき世界史像を構想する建前上,大いに検討を加える必要があるであろう。次に,欧米史関係を重視するようになったのは,結局のところ,欧米の近代文化を一日も早く受容して先進国に追いつこうとした,明治期における国策の継続,ないしは惰性であったということができる。実際,世界の国々のなかで日本ぐらい欧米の歴史を詳細にわたって学習する国はないといわれているほどである。この結果,欧米の歴史をことさらに美化し,その反作用として,欧米列強の植民地ないしは半植民地に転落したアジア・アフリカ諸国の歴史を,劣等視または無視する傾向をさえ生むにいたった。この点,先の中国の歴史におけると同様,十分に検討を加えなければならない。
【区分】文化圏の区分については種々考えられるであろうが,ここではまず,トインビー(1889〜1975)の著書『歴史の研究』に提示されている区分に注目したい。彼は世界史上の文化圏を21あげ,さらにこのうち現存するものとして,[1]西欧キリスト教的文化圏,[2]南東ヨーロッパおよびロシアにおけるギリシア正教的文化圏,[3]北アフリカおよび中東を大西洋より中国の長城の外壁にいたるまで,これを斜めに横切ってのびている乾燥地帯に中心点をもつイスラーム教的文化圏,[4]インドの大陸的半島におけるヒンドゥー教的文化圏,[5]乾燥地帯と太平洋とのあいだの亜熱帯ないしは温帯地方に存する極東文化圏,の五つをあげている。トインビーが,これら文化圏を区分する示標として宗教をあげている点は,筆者も賛成である。というのは,言語や思想・政治・経済,あるいは生活様式を支える基盤として,宗教が最も大きな役割を果たしていると思われるからである。ただし,この区分法にはヨーロッパ人的色彩があまりにも濃厚に表れている。まず,キリスト教を西欧キリスト教とギリシア正教に分けるのが妥当ならば,イスラーム教的文化圏をもスンナ派とシーア派とに分けるべきではなかろうか。また,南東ヨーロッパとロシアを独立的に取り上げるとすれば,当然,東南アジアをもこれに対応して,インドとは別に取り上げる必要があるであろう。なお彼は,極東文化圏の宗教的内容を明示していないが,別の箇所では仏教となっている。しかしこの考えは,唐代などある時期に限れば,あるいは妥当するかもしれないが,2,000年を超える東アジア文化の中核としては,儒教をおいてほかに求められないであろう。
ところで,文化圏を区分する示標が宗教であるとすると,現存する大宗教の成立以前の歴史が当然問題になってくる。イラン文化とイスラーム文化圏の関係のように,地理的条件などを考慮にいれ,各地の文化を特定する文化圏に包摂して考えることもできないではない。だが,これはあまりにも便宜主義にすぎ,各地の原始・古代社会が,比較的に孤立の状態を保ちながら発展してきたことにかんがみ,相互の関連性に留意しながらも,一応,文化圏構想と切り離して考えたほうが適切なように思われる。とすると,トインビーの説や学界の諸説を勘案して文化圏の区分を試みる場合,いったいどうなるであろうか。一案として以下のような柱を立てることもできる。[1]西ヨーロッパ文化圏(キリスト教),[2]東ヨーロッパ文化圏(ギリシア正教),[3]中央アジア・西アジア文化圏(イスラーム教),[4]インド文化圏(ヒンドゥー教・イスラーム教),[5]北アジア文化圏(シャーマニズム・ラマ教・イスラーム教),[6]東アジア文化圏(儒教),[7]東南アジア文化圏(仏教・ヒンドゥー教・イスラーム教)。これらのうち,どれを取りどれを捨てるかについては,[1]生徒の理解面で問題がないか,[2]学問的またはバランス面からみて無理がないか,[3]指導要領の急激な変化に伴う現場の混乱はどうか,などの疑問に対し検討を加えなければならない。まず,ギリシア正教を核とする東ヨーロッパ文化圏については,先に一言したごとく,イスラーム文化との関係もあり,むしろ,西ヨーロッパ文化圏に包摂したほうがよいのではないか。インド文化圏については,一つの独立した文化圏として扱うに十分な条件を備えてはいるが,世界史上に占めるインド史の意義が,ほとんど古代と現代に限られていることや,教授内容をできるだけ単純化する必要性があることなどのため,重要と思われる時代を中心に重点的に扱うことで満足すべきではないか。また,北アジア文化圏については,遊牧民族と農耕民族を軸とする南北の対立抗争史にてらし,独立的な文化圏として扱うことも可能である。だが,ほかの文化圏に対応できるような独自の文化をもっていなかったことなどのため,むしろ,政治的・経済的・文化的に関係深い東アジア文化圏に含めて考察したほうが,妥当ではないかと思われる。さらに,東南アジア文化圏は,インド文化圏・東アジア文化圏のどれにも属さないものとして,独自の文化圏を設定できないでもないが,その文化内容はといえば,このなかに含まれる民族や国家の成立が多様であるように,きわめて複雑多岐であり,一つの文化圏として統一することはけっして容易ではない。したがって,この地域は,対日関係上きわめて重要であるにもかかわらず,インドの場合と同様,必要に応じ大きくまとめて取り上げる程度にとどめざるをえないであろう。このようにさまざまに考え合わせるとき,指導要領に提示された,東アジア文化圏・西アジア文化圏・ヨーロッパ文化圏の3区分,および,文化圏形成の前提ともいうべき各地域の文化,すなわち,オリエント文化・地中海文化・インド文化・イラン文化・中国文化の例示は,まず無難な選択であるということができるであろう。
【学習上の留意点】ただし,文化圏学習にも問題がないわけではない。上記の方針に沿い,文化圏を中心に世界史を構成することは,世界史を複数の文化圏に解体し,いわゆる各国史的な学習へ導くことになるのではないか,という疑問が生じてくる。この難点を補うためには,各文化圏がその内部におけると同様,相互のあいだにどのような関係交渉を保ちながら現在にいたったかということ,いいかえるならば,文化圏方式による世界史学習と,世界の一体化が始まったとされる近現代史学習との有機的な結びつきをたえず配慮することが重要になってくる。周知のように,地球上における各地域の交渉は,すでに旧石器時代からみられるが,この動きは,時代とともにしだいに活発となり,相互の反目や抗争を繰り返しながらも,20世紀半ばにいたり,国連を中心とする世界の意志決定を行う段階にまで達したということができる。この点に関し,文部省刊『高等学校学習指導要領解説』(1979年版)でも,〈指導に当たっては,文化圏相互の関連を考慮しつつ,世界の歴史の大勢と結びつけながら,学習を進めさせることが肝要である〉(109ページ)と述べ,とくに注意を喚起している。この意味で,すでに第3次改訂のとき例示されているように,いわゆる東西文化の交流を適切に取り上げることも,この要請に応える方法として重要になってくるであろう。
【文化圏学習の下限】世界の一体化現象は確かに進んでいるが,それではその起点をどこに置くか,すなわち,文化圏学習の下限をどこに置くかが問題になってくる。第3期の改訂にもとづく『学習指導要領解説』には,〈文化圏学習は,ほぼ,いわゆる新航路・新大陸の発見以前の歴史に関して行われることになろうが,場合によっては,18〜19世紀ごろまでを文化圏別に分けて学習させることも考えられる〉(168ページ)とあり,かなり遠慮がちな表現ながら,一応の目安を示している。当時の常識に沿った無難な提案といってよい。ただここで考えなければならないのは,この発想の背景に“ヨーロッパ勢力の東漸によってアジアの後進諸国が近代化される”という,ヨーロッパ中心の価値観が潜在しているということである。つまり,従来の歴史学・歴史教育において金科玉条視されてきた,歴史の発展とか文化の進歩とかいわれたもの,いいかえるならば,欧米近代文化の受容が同時に当該国の発展につながるという発想が,無条件的に是認されていると思われるのである。この発想の当否については,ここで詳しく論じる余裕はないが,いずれにしても,戦後における国際情勢の変転にかんがみ,再検討を加える時期に達したことは確かである。この点,第4期の指導要領改訂にあたり,〈各項目とも,文化圏の下限をほぼ18世紀ごろまでに下げ,各文化圏の特色が一貫して学習できるようにした〉(文部省,1979年刊『高等学校学習指導要領解説』83ページ)とあるように,文化圏学習の下限が18世紀ごろまでに延長されたことは,かなりの前進であるといわなければならない。しかしながら,これでもなお十分であるとは思われない。というのは,現在の国際情勢にかんがみ,各文化圏の近代化過程と伝統文化との関係を考慮にいれる必要があるからである。由来,発展途上国にみられる一般的な傾向として,近代化を熱心に志向するあまり,革命などの手段によって長い伝統を一挙に打破しようとしがちであるが,しかし,何千年来,民族や国家のなかに根ざした伝統文化は,決して根絶されるものではなく,たとえある程度の変容は遂げるにしても,やがて蘇生の時期を迎えるものである。この点より考え,世界一体化の理論は,近代化を絶対視する立場からよりも,むしろ,伝統文化と近代化という両者の葛藤過程を通してとらえたほうが,より妥当ではないかと思われる。まして,近代化が人々の幸福を増進する万能薬ではなく,人類の平和と繁栄が,民族や国家の独自性を認め合うことによって,はじめて達成されるということが明らかになってきた現在,とくにこのことが痛感される。以上のような考えにもとづき,世界史における文化圏学習は,南北問題あるいは南々問題によって知られるように,近代化の速度は地域的にかなり相違してはいるが,一応,国連機構が成立した第二次世界大戦後まで延長してもよいのではなかろうか。
〔参考文献〕トインビー『歴史の研究』1956,社会思想研究会出版部
文部省『高等学校学習指導要領解説(社会編)』1972,大阪書籍,1979,一橋出版
伊瀬仙太郎「新指導要領における文化圏について」「総合歴史教育」9,1973
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