●文化 ぶんか
AD
文化国家・文化的生活・文化人などの用例では「文化」には高級なもの,知的水準の高いもの,知性・教養といった意味がある。もともと中国では文化は武化に対応することばで,学問の力で感化する文治教化を意味した。徳川時代の年号に用いられたのもこの意味であったが,明治初期に文明開化ということばがはやるとその頭尾をとって文化というようになった。しかし,日本文化・縄文文化・農耕文化などの用例では,質の高低などにかかわりなく「生活様式」全体をさす。英語の culture やドイツ語の kultur にも上記二つの異なった意味がある。どちらかといえばドイツ語の kultur では前者の意味が強調され,英語の culture では後者の意味が強い。しかし社会科学,とくに人類学においては,文化はもっぱら後者の意味に用いられる。厳密な定義としては,人類学の父といわれる19世紀英国の学者エドワード=タイラー(1832〜1917)によるものが最も古く古典的だが,人類学における文化理論の基礎をなすものとして,現在でも広く引用される。〈文化または文明とは,広い民族誌的意味では,知識,信仰,芸術,道徳,法律,慣習その他,社会の一員としての人間が獲得したすべての能力と習慣とを含む複合的全体である〉。文化を生活様式に限る定義としてはアメリカの人類学者クラックホーン(1905〜60)によるものがある。〈文化とは後天的・歴史的に形成された,外面的および内面的生活様式の体系であり,集団の全員または特定の成員によって共有される〉。上の定義のなかでタイラーは文化と社会制度とを区別していないが,20世紀に入ると,人類学の研究対象は文化であると主張するアルフレッド=クローバー(1876〜1960)に始まるおもにアメリカの文化人類学と,社会構造であると主張するアルフレッド=ラドクリフ=ブラウン(1881〜1955)に始まる主に英国およびアメリカはシカゴ大学の社会人類学という二つの陣営が生まれ,両者の対立は1900〜50年代までつづいた。両者の主張は,「類型論」「構造的機能論」という文化についての2大理論を形成した。【文化類型論】クローバーとクラックホーンによれば〈文化は,行動が示す,または行動の指針となる,明白なあるいはかくれた型(パターン)からなる。それはシンボルによって獲得され伝達され,人間の諸集団の判然たる業績を形作り,さまざまな人工物として具体化されているものも含む。文化の本質的中核は,伝統的な(歴史を通して派生し選択された)諸観念,特にそれらに付随さる価値観念から成り立っている。文化の体系は一方では行為の所産と考えられ,他方では今後の行為を条件付ける要素とみなすことができる〉文化が型(パターン)であるというのは,それが諸要素の単なる寄せ集めではなく,各部分が相互に関連し合っていて,ある部分の脱落や変化がほかのすべての部分に影響を及ぼすような一つのまとまりをなしているという意味である。ただし,衣服・食習慣・仕事・挨拶習慣・工芸品などには比較的単純で明白な型が確認できるが,社会経済政治組織・宗教・法律・哲学・科学体系・言語・芸術などが示す型はもっと複雑で,必ずしも明白ではない。文化類型の研究は3段階から成り立つ。まず直接に観察可能なさまざまな行動からそれぞれの法則性を抽出する。この法則性が「型(パターン)」である。次にこれらの諸型に一貫して認められる基本的特徴を把握する。この特徴は「類型(コンフィギュレーション)」と呼ばれ,型よりも抽象的次元が高い。これを文化の「主題」と呼ぶ学者もある。最後にこれら文化類型をさらに抽象して,そのなかの最も中心的なもの,あるいは文化全体に独自性を付与している特質を把握する。これは「諸類型の類型」とも「エトス」とも呼ばれる。
ルース=ベネディクト(1887〜1948)はそのような「エトス」を〈おだやかで競争心がなく,中庸と調和を生活原理とするアポロ型〉と〈あらあらしく闘争的で,優越と熱情を最高の徳とするディオニサス型〉とに区別して,北米インディアンやドブ島住民の文化を記述した(『文化の類型』1934)。ベネディクトが日本文化に美の尊重と攻撃性という矛盾する「エトス」があると考えたことは広く知られている(『菊と刀』1946)。実際の研究においては,複雑な文化のエトスの発見は容易でなくその直観的把握は研究者の主観に左右されやすくエトスの記述には誇張や省略など現実の歪曲が入り込む危険がある。現に上記ベネディクトの著作にも,このような批判が加えられている。個々の文化の諸類型の研究を積み重ね,それらに共通する類型を発見すれば,人類の文化に共通する普遍的文化類型も記述できるはずだと,文化類型論者たちは考えたが,それを果たすにはいたらなかった。文化類型論によれば,文化は個人と集団によって創出され,個人・集団・環境と相互交渉する。だが,これら生物学的・心理的・地理的諸要素間の相互交渉は文化の発展成長の出発点にすぎない。文化は長い歴史をとおして,さまざまな要素が集積され総合され統合され,発展成長の末に完成する。文化は集団の歴史の沈澱物である。そして文化は個々の人々の内部に存在し,事物・他人・環境についての人々の知覚を形成する。つまり文化は人間と環境との中間に介在する「媒介変数」である。類型論にとって文化は著しく複雑多様であるために,文化の特定の様式がいかなる外的条件が原因で形成されるのかといった因果関係の研究は,ほとんど不可能に近い。そこで研究の主目的は,個々の文化の類型を確認して記述し,これらを比較分類し,基本的永続的な類型と変化しやすいものとを区別し,また文化の一側面が全体の類型にいかに組み込まれているかを指摘するにあった。
【社会構造論】英国の人類学者ラドクリフ=ブラウンは,1930年〜40年代に社会構造論の基礎を築いたが,彼によれば社会構造とは〈社会的関係の組織または体系であり,永続的な社会集団と種々の社会階級および社会的地位とを含む〉と,社会集団を有機体になぞらえて,社会構造の分類を「社会形態学」社会構造の機能の研究を「社会生理学」と名づけた。後者によれば,社会構造の各要素(道徳・法律・行儀作法・宗教・政治・経済・教育・言語)は,人体の各器官の働きが生命の存続に役立っているのと同じように,社会全体の調和と存続に寄与すると考えられた(たとえば宗教儀式は参加者に彼らが祖霊と伝統を共有する身内(みうち)であることを再認識させ集団の団結を強める)。社会構造論者の研究は,文化類型論の場合と同じく,初め文字をもたぬ部族の小集団に限られていたが,やがて複雑で大規模な近代社会に及んだ。ところで,社会構造論者は上記のように研究対象が社会構造であって文化ではないとしたが,この主張は正しくない。社会構造とは社会生理学の理論的枠組のなかで扱われた文化にほかならないからである。ラドクリフ=ブラウンによれば,社会体系とは〈社会の全体的構造と,その構造の出現と存続の基礎となっている社会的慣習の総体〉であり,社会的慣習とは〈道徳法律,行儀作法,宗教,政治,教育,および社会構造を存続させる複雑な機構を形成するあらゆる社会現象〉をさす。だが社会構造およびその構成要素である社会的関係は,直接観察できる「実体」ではない。特定の親族関係や上下関係にある個々人の相互交渉を観察し,彼らの行動に一定の規則性を認めて初めてその社会的関係の特徴が記述できる。特定の社会的関係にある個々人の相互交渉に一定の規則性が存在するのは,個々人がたがいにとるべき行動様式についての知識を共有しているからである。つまり〈社会構造の形成は個人や集団が相互交渉に際して従う行動の諸様式によって記述されねばならない〉。ラドクリフ=ブラウンのいう「行動の諸様式」とは,クローバーやクラックホーンのいう「文化の型」とほとんど同じものである。文化の型も直接観察可能な実体ではなく,個人と集団の行動に認められる規則性から抽象されるのであり,規則性が認められるのは人々が特定の行動様式を共通の知識としているからである。
文化類型論も社会構造論もタイラーの定義した文化全体を研究対象とし,また,文字をもたぬ部族から現代都市まであらゆる種類の社会を対象とした。両者の本質的差異といえば,文化類型論が文化の諸要素がいかに組み合わさって類型を形成しているかを記述するにとどまったのに対し,社会構造論が社会構造の各要素が社会全体の存続にいかに機能的に貢献しているかを指摘した点にある。
【純粋機能主義】ラドクリフ=ブラウンとならんで人類学界に決定的な影響力をもったのはマリノフスキ(1766〜1824)で,彼は文化の各要素が,栄養・生殖・身体的安楽・安全・休息・運動・成長という人間の七つの基本的要求を充足させるはたらきをもつと主張し,自らの立場を「純粋機能主義」と呼んだ。彼にとって文化は人間の欲求を満たす道具であった。たとえば,トロブリアンド島では外海で使用するカヌーの製作過程に,精進潔斎そのほか守らねばならぬ約束事が多いが,これには,これだけのことをしておけば不沈のカヌーができて航海は絶対安全だという確信を人々に抱かせ,危険に対する不安を取り除く「機能」がある。マリノフスキーの機能主義はクラックホーンなど文化類型論者にも多大の影響を与えた。
【文化と個人】文化類型論が主流を占めたアメリカの人類学界では1930年〜50年代にかけて,文化とその“担い手”である人々との関係の研究が盛んになり「文化とパーソナリティ研究」と呼ばれた。前記ベネディクトの『文化の類型』がその皮切りといわれるが,ベネディクトは文化の類型と人々の性格構造とを異種同型と考え社会の成員の性格は文化の鋳型に流し込まれて形づくられると考えた。この単純な考えはのちに破棄され,同じ社会に育つ子供たちは親の育児行動が共通であるために,似かよった幼児期体験をもち,その結果似かよった性格特徴を共有するようになると考えられ,こうした性格特徴形成過程が研究対象となった。とくに西洋文明の影響で固有の文化が変容していく過程に人々がどう反応し彼らの性格特徴にどんな変化が生じるかの分析に多くの業績が生まれた。第二次世界大戦中は心理戦略の一環として敵性国民の研究が行われ,ベネディクトやマーガレット=ミード(1901〜78)を中心に数多くの国民性研究が発表された。『菊と刀』もその一つである。だが,これらの研究の大半は〈集団の成員の行動に認められる法則性(文化類型)は彼らが共有する性格特徴(国民性)の現れである〉という前提に立って,国民という大集団の成員を実際よりはるかに等質に考えた。現実には,大勢の人々が同じような行動をとるのは同じ性格特徴を共有するからではなくて,多くの場合強制力をもつ社会規範(文化型)に同調するためである。よろこんで同調する人も嫌々ながら同調する人もあるが,結果としては集団が似たような行動をとる。また複数の人々が同じような行動をとってもすべてが同一の動機にもとづくとは限らず,人々はさまざまな欲求から外見は同じ行動をとる(パック旅行の参加者には集団で動くことの好きな人も,そうではないが旅費が節約できるからという人もいる)。このような前提の誤りや方法論の不備から,文化とパーソナリティ研究や国民性研究は1960年以降「人類学」の研究領域から姿を消した。「国民性」という概念も「人類学」ではもはや使われない。文化は行動の指針であり,人々が文化を理解し学習しこれに従わない限り,社会生活は成り立たない。だが一つの社会の文化が要請あるいは許容する行動は,個人の欲求を満たすための行動よりも範囲がはるかに狭い(依存行動を禁じる文化もあり,自己主張を許容しない文化もある)。だから,個人の欲求と文化的規範との葛藤緊張およびこの緊張解消の必要性はすべての社会に存在する。葛藤は通常規範の内面化と許容されない欲求の抑圧によって解消されるが,前述のように社会の全成員がすべての規範を完全に内面化するのではなく,外的圧力に屈して規範同調行動をとる者も多い。欲求不満が外的圧力に抗するほど激しくなれば個人は反社会的行動をとるし,これが個人から集団に広がればなんらかの社会変動のエネルギーが生じる。欲求不満が高じても外的圧力が強ければ個人はなんらかの精神障害をおこす。こうした過程には未解明の部分があり,「心理人類学」と呼ばれる領域の研究対象になっている。
【新しい文化論】上記の2大理論に代わって最近主張される文化の定義と分析は,以前より抽象的・形式的・概念的になってきている。直接観察可能な行動や工芸品は文化という概念的構成物をつくる素材ではあっても,それ自体文化の構成要素とはみなされない。文化の構成要素は行動や社会関係や工芸品のなかに隠された様式・規範・法則・基準といった観念体系なり認知構造であり,人々の無意識に潜んでいて人々に自覚されていない場合もある。〈文化は物質的現象ではなく,事物や行動から成立つのではない。文化とは人々の心の中にある事象の形式であり,人々が環境を認知し解釈しこれと交流する際の手本(モデル)となるものである〉。したがって人々の行動や社会経済事象や儀礼などを観察記録しただけでは,文化を記述することはできず,そうした事象の基底にある概念的モデルを構成しなければならない。そのためには言語の分析による意味体系の解明が主要な手段とみなされ,とくに親族呼称の構造要素分析が重要視されたこともある。社会構造のような文化の非言語的側面も意味論的分析に似た手法で研究される。このように文化を「意味の体系」といった高度に抽象的概念として理解する傾向は,文化の研究にあたって研究者が外部から自分の判断や解釈を加える従来の方法をしりぞけて,文化がその担い手たちにとってもっている意味を理解しようという新しい方法論とも無関係ではない。数や色彩や動植物の分類法は文化により異なるし,外部者には同一にみえる事象も文化の異なる人々にとっては意味が異なる。文化をその担い手にとっての意味の体系としてとらえようとする努力はとくに「新民族誌」「民族科学」「象徴人類学」という最近の研究領域に認められる。文化を高度に抽象的な概念的構成物と考える傾向は,構造人類学の創始者レヴィ=ストロース(1908〜)にも著しく,彼はとくに親族組織のもつ規則性と,神話の論理構造と,無文字社会における事物の分類法の研究に独自の業績をあげた。レヴィ=ストロースによれば,言語・親族組織・社会組織・法律・宗教・神話・儀式・芸術・行儀作法・料理法・政治思想などは比較的秩序よく「構造化」されており,社会生活のほかの側面はそれほど構造化されていないか構造が未発見かであるが,それぞれの基底に潜む意味の構造を析出し,そのあいだの「弁証法的関係」を分析するのが文化の研究である。彼はさらに〈人間の心の基本的構造〉を想定して,文化の構造にはこの精神構造が反映するために普遍的特徴(たとえば事象を二つのカテゴリーに区分する傾向)が認められるとも考えているが,その実証性や精神分析学理論における普遍的無意識との関係などについては明らかにされていない。
〔参考文献〕祖父江孝男『文化人類学入門』1979,中央公論社
C.クラックホーン,光延明洋訳『人間のための鏡』1971,サイマル出版会
エヴァンス=プリチャード他,吉田禎吾訳『人類学入門』1970,弘文堂
R.ベネディクト,米山俊直訳『文化の型』1973,社会思想社
長谷川松治訳『菊と刀』1948,同社
C.レヴィ=ストロース,荒川他訳『構造人類学』1972,みすず書房
我妻洋・原ひろ子『しつけ』1977,弘文堂