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●ブワイフ朝 ブワイフちょう

アジア イラン・イスラム共和国 AD932 

 932〜1055 イラン南西部からイラクにかけてを支配したイラン系のシーア派王朝。カスピ海南西岸の山岳地帯に住んだ山岳民ダイラム人の族長ブワイフを始祖とする。ブワイフの3人の息子はジャール朝に仕えて勢力を伸した。長子アリーはダイラム・ギランの兵を率いて南方に進出し,イスハハンを占領,さらにアッラジャーン(932)・ヌバンディジャーン(933)を占領した。弟ハサンはカージルーンを併合し,末弟アフマッドはさらに南進してシラーズ(934)を占領し,翌年にはアル=アフワーズ(フージスタン)・ケルマンなどを占領した。そしてシラーズを首都としてブワイフ朝を建てた。アフマッドはさらに近隣を征圧し,945年,バグダードに進出した。カリフ,アル=ムスタクフィ(在位944〜946)は3兄弟の実績を認め,兄のアリーにイマード=アル=ダウラ(国家の支柱),次兄ハサンにルクヌ=アル=ダウラ(国家の柱),弟アフマッドにムイッズ=アル=ダウラ(国家を強力にした者)の称号を授けた。彼らは実力を喪失したカリフを偶像化し,アミールまたはマリク(ともに王の意)と号してイラン・イラクを統治した。こののち,カリフの権威はますます低下し,単に将軍たちの傀儡にすぎなくなった。

 ブワイフ朝の君主たちは1世紀内外の支配時代(945〜1055)を通じて,カリフを思いのままに即位させたり廃位させたりした。この時代のイラクは,ブワイフ朝の首都シラーズの1州として統治され,イスラーム世界の中心としての地位を喪失した。ブワイフ朝の勢力はルクヌ=アル=ダウラの子アズド=アル=ダウラ(国家を支える腕,在位949〜983)時代に絶頂期をむかえた。その領土はファールス・ケルマーン・ジバール・イラクの4地方に大別され,それぞれルクヌの子孫によって統治されたが,全体として彼の支配下にあった。その統治領域はアッバース朝の名君ハルン=アッラシード(766〜809)の領域にほぼ匹敵するものであった。アズドはカリフ,アル=ターイの娘をめとり,カリフには自分の娘を嫁がせ,自分の子孫にカリフの位を継がせようとした。彼はシラーズの王宮に君臨していたが,バグダードに大工事を行い,運河を改修し,有名な病院「アル=ビーマーリスターン=アル=アズディ(アズドの病院)」をつくった。ここには24名の医師団がおり,診療とともに医科大学の役目を果たした。この病院は978〜979年に完成し,彼はここに10万ディナルの基金を寄付した。また,バグダードおよびそのほかの数都市にもモスク・病院などを建設した。こうした事業を熱心に推進したのは,キリスト教徒の宰相ナスル=イブン=ハールーンであった。アズドの王廷では公用語としてアラビア語が用いられ,詩人アル=ムタナッビはアズドの業績をたたえた詩をつくり,文法家アブ=アリ=アッファーリシは『解脱の書』,イスバハーニーは『歌謡の書』を著し,アラビア文学が盛行した。しかしまた,この王朝は始祖ブワイフが自ら古代ササン王族の後裔と自称したように,イランの伝統を生かそうとする傾向もあり,ルクヌ=アル=ダウラはパフラビー語を刻んだ貨幣をつくり,アズド以降のアミールのなかには「シャーハン=シャー(王中の王)」を名乗っている者もいた。アズドの文芸保護は,その子シャラフ=アル=ダウラ(在位983〜989)によって継承され,そのあとを継いだ弟バハー=アル=ダウラ(在位989〜1012)は,ペルシア人の名宰相サーブール=イブン=アルダシールの力により,バグダードに1万冊の図書館をもつ学校を建設している。しかし,そのころすでにこの王朝は衰退の一途をたどり,シャラフ・バハーら3兄弟の王位継承の争いや国内のスンナ派との対立が拍車をかけた。1055年,セルジューク朝のトゥグリル=ベクがバクダードに入城し,ブワイフ朝の統治にとどめをさした。イラクにおけるブワイフ朝の最後の君主アル=マリク=アッラヒーム(在位1048〜55)は幽閉されて死んだ。