●ブロンテ姉妹 ブロンテしまい
ヨーロッパ アイルランド AD1816
シャーロット(1816〜55),エミリー(1818〜48),アン(1820〜49)のブロンテ3姉妹。アイルランド出身の牧師パトリック=ブロンテの娘としてイギリスのヨークシャ州ソートンに生まれる。母は1821年癌のために病死。1820年父の任地同州ハワースへ移り,以後ヒースの茂るこの荒野の寒村で生涯の大部分を過ごした。ハワースの厳しい自然環境,隔絶された社会での因習的生活が,イギリス文学史上に独自の位置を占める姉妹の作品と密接な関係をもつ。牧師館の周囲にひろがる広漠たる荒野で,3姉妹は幼少のころから自由に想像力を羽ばたかせ,シャーロットと弟のブランウェルはアフリカの海岸のアングリア王国,エミリーとアンは北太平洋上のゴンダル王国という架空の地をつくりあげて想像の世界に遊んだ。こうした物語がのちの作品の文学的修業になる。1831年から,姉妹は交互に短期間ずつロー=ヘッドの学校で学び,そののち故郷を離れて教師として働き家計を助けた。彼らは老父を庇護する必要から牧師館で寄宿学校の開設を計画,シャーロットとエミリーは1842年,その準備のためにブリュッセルにわたるがこの計画は挫折。1846年姉妹3人合作の詩集を,女流作家に向けられる偏見を避けるために,カラー,エリス,アクトン=ベルという中性的筆名で発表し,引きつづきそれぞれの作品を出版する。激しい情熱と不屈の精神をもつシャーロットは,新しい女性像を描いた『ジェーン=エア』(1847)『シャーリー』(1849)『ヴィレット』(1853)を出版し,作家として認められた。内省的なエミリーは,心のなかの熱いエネルギーを『嵐が丘』(1847)に昇華させた。発表当時この作品の価値は理解されなかったが,特異な神秘性・強烈な迫力を有する傑作である。またみずみずしい感性に満ちた彼女の詩の価値もみのがせない。アンも『アグネス=グレイ』(1847)・『ワイルドフェル館の住人』(1848)を出版しているが,姉たちほどの創造性はみられない。共通の背景のなかで生活しながら,三人三様の特徴をもったブロンテ姉妹は,イギリス文学に大きな影響を及ぼしている。
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