●プロテスタント
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キリスト教のなかでカトリックに対する概念で,16世紀の宗教改革以後に成立する諸宗派をプロテスタンティズムといい,それらの信者をプロテスタントという。ルター派・カルヴァン派およびその流れをくむピューリタン・長老派・イギリスの聖公会・メソディスト・バプティスト・フレンド派・敬虔主義派・アリミニウム派・ユニテリアン派などの多くの宗派の信者が数えられる。【名称】イギリスのウィクリフ(1320ごろ〜84)やボヘミアのフス(1369ごろ〜1415)も,実質的にはプロテスタント主義を説いたといってよいが,1517年にルターが宗教改革をおこし,皇帝カール5世がフランスやトルコとの関係において,ルター派の信仰を認めたり,取り消したりしたことに対し,1529年,シュパイアー国会におけるカール5世の改革派圧迫の態度に,改革派諸侯が抗議書を発したことに由来する。
【教義】宗教改革の先駆者とみなされるウィクリフやフスの思想は,重要なところではルターやカルヴァンに受けつがれており,クェーカー派・モラヴィア派なども含めて,プロテスタンティズムの教義は,大部分がルターとカルヴァンによって確立されたものといってよい。それはカトリックの伝承・教義・権威に反対し,個人の良心に訴える信仰を説き,教会制度を排して,本来的なキリスト教の姿に還ることを主張した。ルターとカルヴァンのあいだには相違があるが,ルターは教会が権威をもつべきではなく,〈拠るべきものは聖書のみ〉とする聖書主義,聖職者が尊いのではなく〈信仰によって義とされる〉義認論,またそれゆえに,すべての人が司祭でありうるとした万人司祭主義を主張した。カルヴァンはルターのもっていた神秘主義を理論的に進め,すべてを神の予定とする予定説に立って職業を天職とみなす考えを説き,禁欲主義を強調した。
16〜17世紀以降,多くの宗派が誕生してくるが,教会よりも神の福音を信じ,宗教の形式よりも内面性を重んじて,個人主義的立場をとり,俗人と聖職者の差を縮小するのが一般である。またその立場上,日常生活のあり方を問題にする。
【おかれた状況】プロテスタントは1555年のアウグスブルクの宗教的な和議によって,支配者の選択によるという制約はあったが,ルター派がまず公認され,1598年にアンリー4世によって出されたナントの勅令によって,はじめて個人の信仰の自由が認められた。これらによって,プロテスタントは公然たる立場をとることができるようになったかにみえるが,カトリック教会のもっていた伝統的な力とそれに結びついた王権によって,事実上は異端視されることを避けえなかった。それは,プロテスタンティズムの職業観によって,プロテスタントの多くが市民であり,身分制社会のなかでは,身分に結びついた宗教が歓迎されなかったことにもよる。このため,プロテスタントの多くは周辺部においやられ,都市のなかでも特定地域に集まることが少なくなかった。国教会(聖公会)をとったイギリスの清教徒(ピューリタン)が新天地を求めてアメリカ大陸に渡るのは,プロテスタントがプロテスタントを圧迫した例である。
【意義】M.ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において,17世紀のイングランドにおける清教徒を例にとりつつ,市民の宗教となったプロテスタンティズムが禁欲主義によって,資本主義の初期に,その勃興の力になったことを説いた。それを拡大してとらえれば,近代を発展させる基礎として,資本主義とは矛盾しているかのようにみえるプロテスタンティズムの天職観や禁欲主義があったということになる。ウェーバー説には,多くの批判があり,それをそのまま採用することはできない。しかし,アメリカのフロンティア精神は,確かにプロテスタントが中心になって進めていったものであり,プロテスタントが歴史の上で果たした役割を,一定程度に評価することは可能である。