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●プロダクト・デザイン

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インダストリアル=デザイン(工業デザイン)と同義に用いられることが多いが、厳密には、インダストリアル=デザインの対象物である工業製品のデザインの意である。プロダクト=デザインとは、人間と環境(自然と社会)における相互関係の秩序化を目的にして、人間の生活や、生産・流通のために、どのような工業製品が必要とされるのかを考えて、概念設計を行い、さらに製品としての実体化にむけて機能設計をし、形態設計にいたるすべての計画と設計行為をいう。

 従来デザインという語は図案・意匠、などと訳されてきたが、今だに製造上の意匠のことであると誤解されていることが多い。

 工業製品のデザインは、工業製品を使用する人々の要求に適合しているか、いないかによって評価されるべきものであって、造形上の美しさだけのみによっては評価できない。

 次にあげる四つの条件はプロダクト=デザインの質を評価するための一般的な基準である。(1)人間に対して物理的に適合しているかどうか(機能性)。(2)人間の行動的特性に対して適合しているかどうか(扱い易さ)。(3)人間の知的水準に適合しているかどうか(わかりやすさ)。(4)人間にたいして感性的に適合しているかどうか(審美性)。プロダクト=デザインとはこの四つの条件を満足させるために行う計画・設計行為なのである。

 ここでいう設計行為は、機械工学での工学的設計とも異なっている。工学的設計とは、〈人間が概念として想定した機能を、それと等価な機能をもつ実体として存在化することである〉と言われる。すなわち、機能の実体化の技術であり、性能効率上の最適解を創造することを目的としている。これに対してプロダクト=デザインにおける設計行為とは、人間の機能的対応・行動的対応・知的対応・感性的対応を満足させる統合的適合化を目的とした創造行為なのである。

 人間は、自己の生活環境に対して何がしかの不適合を感じている。これらの不適合を適合化することによって、人間と環境とのあいだの秩序ある組織化を実現することができる。

【プロダクト=デザインの歴史】工業製品のデザインの歴史は、産業革命にたいする反動的思想によって始まった。ウィリアム=モリスは1860年ごろイギリスで、アート=アンド=クラフト運動をおこし、当時の大量生産方式による、機械生産品の醜悪さを批判した。また、自ら壁紙や家具・調度品などを手工芸的に生産し、働く悦びの伴われた分業機械生産を真っ向から否定した。しかし、民衆のためにおこされたはずのこの運動は、少量生産であることと高価な製品であったために、この後の波及はおさえられた。ドイツではモリスの影響を受けて、ムテジウスとヴァン=デ=ヴェルデによって、1907年ドイツ工作連盟が結成された。

 工作連盟の目的は、産業と手工芸と美術との統一をうたい、機械生産を肯定したうえで、機能と芸術面での、質の向上を生み出すことにあった。さらに、ムテジウスは規格の統一を提唱していくのである。

 工業に芸術家を参加させるという理念は、1919年ドイツのワイマールでグロピウスによって、開校されたバウハウスに引き継がれていく。グロピウスは、1923年つぎのようにいっている。〈芸術と技術、新しい統一! 技術は芸術を必要としない。だが、芸術は技術をきわめて必要とする。--たとえば建築〉。教育指導には、カンディンスキー・クレー・モホリ=ナギー・イッテン・ブロイヤー・ミース=ファン=デル=ローエらがあたった。

 この新しいデザイン教育運動は1933年にデッソウで解散するが、モダン=デザインの基礎を確立し、その影響を全世界に波及させた。バウハウスのデザイン上の実験と理論は、その後シカゴのニュー=バウハウス(現イリノイ工科大学)とウルム造形大学に引き継がれていく。

 アメリカでのデザインの展開は運動形態をとらず、大企業内部でのデザインの組織化と、フリーランス=デザイン事務所の発生という形であらわれた。1926年にティーグが、1927年にゲデス、1928年にローウィがデザイン事務所を開設した。また、1927年に GM が初めてデザイン部門を設けるなどアメリカでのデザイン活動は大衆消費社会での経営戦略と密接に結びついて発展した。

 わが国におけるプロダクト=デザインの歴史は、1886年(明治19)高等師範学校(現筑波大)に手工科を設置するところまでさかのぼる。そして、1887年(明治20)東京美術学校(現東京芸術大)に美術工芸科、1897年(明治30)東京工業教員養成所(現千葉大)に図案科が設置されていく。1928年(昭和3)には国立研究機関の工芸指導所(現製品科学研究所)を創設した。また、近代デザイン運動は、1930年(昭和5)に始まる形而工房、1936年(昭和11)日本工作連盟などがあり、19世紀の伝統的工芸に対抗して、より実用的でかつ時代感覚にあった工芸の振興を促していった。

 カタカナの「デザイン」という用語が使われだしたのは、1945年ごろに服飾の分野であったが、工業製品のデザインのように用いられるのは、剣持勇がアメリカから帰国した1953年からのこととされている。教育用語としては、1956年に文部省の高等学校指導要領芸術科編で初めて用いられた。そして、1952年に日本インダストリアル=デザイナー協会、1953年には日本デザイン学会が創設され世界に伍するデザイン活動を展開する基盤となったのである。

【プロダクト=デザインの領域と展開】工業製品のデザインの領域とは設計対象の範囲と設計行為の範囲の二つを含んだものである。現代のデザイン領域はきわめて拡張してきたといわれるが、このことは、上記の二つの範囲の拡張によるのであり、時代に相対的に対応して、変化しているものである。

 この流れを通時的に見ると、産業革命後の19世紀の設計行為は、芸術の復権として展開され、20世紀の初頭には芸術と技術の統合として展開し、1930年代からルイス=サリバンによって、提唱された〈形態は機能に従う〉という命題に定式化されてきた。しかしまた、エレクトロニクスの急速な進展による情報化技術の発達によって、産業的構造や文化的構造・社会的構造の変革をみることになり、この機能主義命題では、説明出来ない状況が生まれている。

 人間の製品に対する対応関係は、人によって多様なことに気がついたのである。たとえば、テレビの何に対して人はお金を払っているのかを考えてみると、ある人は性能に対して、ある人は番組に対して、またある人は、部屋の飾りとしてというようにさまざまなのである。設計対象としての製品分類も、従来のように機能的に情報機器とか輸送機器という分類は、意味をもたなくなってきている。

 このような現代の状況から、プロダクト=デザインの新たな体系化を目指した活動が展開されはじめている。その第1は、デザインに対する、概念的解釈ならびに認識論を中心とした哲学的アプローチ、第2は、創造・直感などの感性的アプローチ、第3は、機能・技術・素材などの工学的アプローチ、第4は、意味・思想・推論などの認知科学的アプローチ、第5は、社会・経済・消費などの社会科学的アプローチ、第6は、計画・設計の方法論的アプローチである。

 現代のプロダクト=デザインにおける設計行為は、一口でいうと、問題解決行為であるということができる。問題解決の実現の結果が、デザインの結果なのである。その結果を導くアプローチが上記のアプローチである。その方法上の特徴は、結果の予測に重点がおかれている点にある。ものの氾濫といわれる現代にあっては、製品を“いかにつくるか”という手法的なことよりも、“なにをつくるか”という目標の探索が重要なのである。なにをつくれば、どれだけの満足が得られるかという、準前評価を設計行為の過程のなかにくみこんでおき、目標の概念設定を行うプログラムなどが試行されている。


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