●プレブス
ヨーロッパ ヨーロッパ AD
ローマ共和制期の平民。プレブスはローマ共和制初期には神官・元老院・政務官をパトリキ(貴族)に独占されていた。また十二表法によればパトリキとの通婚権も認められていなかった。しかし中小農民を中心とした武装自弁の重装歩兵の重要性が高まるとともに身分闘争を行い,前494年プレブスの生命と財産の擁護のために護民官が設けられ,前495年カヌレイア法によりパトリキとの通婚が認められた。前367年リキニウス=セクスティウス法によりプレブスから必ず一人コンスルを選出することが決められ,ついで神官・政務官もプレブスに開放され政治的権限が上昇した。前287年ホルテンシウス法により平民会の決議がローマの全市民を拘束する国法として認められ,パトリキとの身分闘争が終わった。共和制末期には上層のプレブスはパトリキとともにオプティマテス(閥族派)を形成してポプラレス(平民派)と対立した。帝政時代には一般の民衆をプレブスと呼ぶようになった。