●ブレヒト
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1898 ドイツ帝国
1898〜1956 今世紀の代表的なドイツの劇作家。アウグスブルクに生まれる。初めは故郷の町やミュンヘンで活躍するが,1926年にベルリンに移り,ラインハルトのドイツ劇場の文芸部員になる。そのころからマルクス主義の学習を始める。1933年亡命の旅に出,デンマークのスヴェンボルに居を定める。1940年フィンランドへのがれ,1941年シベリア経由でアメリカに亡命。1947年ヨーロッパへ戻りチューリヒに1年足らず滞在,翌年東ベルリンに入る。1949年夫人ヘレーネ=ヴァイゲルとともに劇団ベルリーナー=アンサンブルを結成する。数多くの作品があるが,劇作品に関しては,以下のごとくである。【初期】処女作『バール』(1923初演)では強靱な生命力を持った主人公バールの「反社会的」な生の享楽が描かれ,『夜の太鼓』(1922初演)は革命のための犠牲死を拒否し家庭的幸福にもどる帰還兵が主人公である。
【ベルリン時代】人間の可変性を示す寓話劇『男は男』(1926)は現代への諷刺をも含む。ジョン=ゲイの『乞食オペラ』の改作で作曲家クルト=ヴァイルの協力による音楽劇『三文オペラ』(1928)の大成功はブレヒトの名声を世界的にしたが,ブルジョア社会の諷刺の根底には〈まず食うこと,それから道徳〉のモラルがある。またこの時代に『イエスマン』(1929〜30)や『処置』(1930)などの一連の教育劇が生まれた。
【亡命時代】『ガリレイの生涯』(1938,1943初演,1945改作)は新しい時代を迎えての1科学者と時の権力との対立を描くが,改作では「ガリレイの賛美」から「ガリレイの断罪」へ重点が移る。三十年戦争の戦乱を舞台に3人の子供を失いながらもしたたかに生き抜く母親を描いた『肝っ玉おっ母と子供たち』(1939,1941初演)では,〈民衆が政治の客体である〉限り主人公が戦乱からなにも学ばないことを見抜く力が観客に要請される。また,民衆劇『主人プンティラと従僕マッティ』(1940)は,プンティラ旦那という人間的魅力に富んだ人物像をつくり上げながら,しかも地主対従僕という対立に含まれた問題性を考えさせ,。一人の子供をめぐる生みの母と育ての母の争いという古くからの素材を利用した『コーカサスの白墨の輪』(1944)においては,物は役立つ人に属すべしという有用性の知慧が主題になる。その他に『セチュアンの善人』(1939)・『第三帝国の恐怖と貧困』(1938パリ初演)・『アルトゥロ=ウイのおさえることのできる興隆』(1941)などがある。反ファシズムのための闘争の武器でもあった「叙事詩的演劇」と呼ばれるブレヒトの演劇の特徴は,ソングの挿入やコーラス・字幕による解説などの「異化効果」の応用で,観客の感情同化を妨げ観客に批判的態度をとらせることにある。理論書としては『演劇のための小思考原理』(1948)・『真鍮買い』(1951)が戦後に完成される。その他詩集『家庭用説教集』(1927)・『スヴェンボル詩集』(1939)や『コイナーさんの話』(1930)・『亡命者の対話』(1961)などの散文作品がある。