●フランス文学 フランスぶんがく
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フランス語は,ゴール地方のラテン語がさまざまな影響を受けながらしだいに変化してできあがったものである。フランス語による最古の文献は,842年にシャルルマーニュ(カール)大帝の孫たちが交わした政治的文書「ストラスブール宣誓書」である。【中世】フランス文学におげる中世は,ふつう11世紀から15世紀までをさす。その初期を代表するジャンルの一つは,フランス語による最古の文学的作品とされる『聖アレクシス伝』(1040年ごろ)を初めとする聖者伝である。いま一つは武勲詩であって,シャルルマーニュ大帝のスペイン遠征を題材とした傑作『ロランの歌』(1100年ごろ)のほかさまざまな題材のものが数多く生まれた。12世紀に入って騎士道的文化が栄え,クレチアン=ド=トロワその他によって,アーサー王伝説や聖杯伝説などを題材として多くの騎士道恋愛物語が書かれた。13世紀に流行した寓意文学は,傑作『ばら物語』を生んだ。一方,動物叙事詩群『狐物語』や,韻文体の小話群『ファブリオ』は,風刺的で現実的な庶民精神を体現している。また数多く書かれた年代記がフランス語散文の進歩に貢献した。演劇はジャン=ボレルの『聖ニコラ劇』(1200年ごろ)などの宗教劇に始まり,教訓劇や喜劇も盛んに上演された。とりわけ『ピエール・パトラン先生の笑劇』(1464)は,モリエール以前の最良の喜劇とされる。抒情詩人としては,13世紀のリュトブーフ,14世紀のシャルル=ドルレアンなどが著名だが,中世最大の詩人というべきは15世紀後半に現れたヴィヨンである。彼は,放浪の生活を送り盗賊にまで身を落としながら『形見』『遺言書』など,死の恐怖にあふれ罪と悔恨の意識に貫かれた作品を書いた。
【16世紀】シャルル8世によるイタリア遠征(1494)以来3代にわたってつづけられたイタリア戦争は1559年に終わった。この戦争は政治的には得るところはなかったが,文化の面ではイタリア文化の圧倒的な流入という結果をもたらし,人文主義(ユマニズム)が文化のあらゆる面に浸透した。この人文主義の思潮は,フランソワ1世の庇護のもとに,ビュデその他の学者たちによって推し進められた。人文主義を支える自由検討の精神は,宗教や道徳の面においてもさまざまな変革を呼びおこした。ルターの宗教改革が始まったのは1517年のことであるが,フランスでもカルヴァンが宗教改革に従事し,みごとな文体で『キリスト教教程』(1541)その他を著した。抒情詩の分野でこのような人文主義の精神をまず鮮明に示したのはマロであって『マロ青春賦』(1532)・『地獄』(1539)その他,中世的なものとルネサンス的なものとを溶かし合わせた軽妙で鋭い作品を書いた。ついで『デリ』(1544)を書いたセーヴや,『作品集』(1555)などを書いたラベなど,いわるゆるリヨン派の詩人たちが現れる。この派の特質は,ペトラルカぶりと新プラトン主義の愛の思想であって,詩におけるイタリアの影響がはっきりとうかがわれる。このようにしてわき立ち始めたルネサンス人文主義を全体的に体現したのは,ラブレーである。はじめ修道院で過ごしたが,各地の大学で法律や医学を学び,広く人文主義的教養を積んだ。1532年から1564年にかけて『ガルガンチュワとパンタグリュエルの物語』全5巻を発表した。ここには,豊饒で多彩で生命感にあふれたことばとルネサンス的博学とに支えられて,壮大で怪奇な現像的世界が展開されている。フランソワ1世の姉マルグリット=ド=ナヴァールは人文主義者たちを庇護し,人文主義の展開に力を尽した。彼女自身も『デカメロン』を模した秀作『エプタメロン』(死後1559刊)を残している。16世紀後半にさしかかると,人文主義は円熟期に入る。ロンサールが友人デュ=ベレなどと結成した,いわゆるプレイヤード詩派の仕事はそういうことの表れである。デュ=ベレが1549年に発表した『フランス語の擁護と顕揚』はこの派のマニフェストというべきもので,彼らは古代芸術を範としながらフランス独特の詩をつくりあげようとしたのである。14行詩・12音綴アレクサンドラン詩句などが詩形として確立されたのも彼らの功績である。この派の最大の詩人は『オード集』(1550)・『エレーヌへのソネット』(1508)を書いたカンサールだが,デュ=ベレも佳品『哀惜詩集』(1558)を残している。1560年ごろからカトリックとプロテスタントとの対立が激化し,1598年ナントの勅命で平和が訪れるまで,ヨーロッパは陰惨な宗教戦争に巻き込まれる。人文主義は一種の反省期に入ったわけだが,このような自省の運動を典型的に示すのは『随想録』(1580〜88)を書いたモンテーニュである。人間性の多様な現れを鋭く透視しながら寛容を説く彼の文章は,随筆文学最大の古典となった。宗教戦争のさなかにあって新教徒として闘ったドービニエの『悲愴歌』(1577以降執筆)は,痛烈な風刺と残酷な記録に満ちている。
【17世紀】16世紀後半の混乱が終わり,人々の意識は整理と安定にむかう。詩の分野でこの傾向をまず示したのはマレルブであって,彼は古典主義的ともいうべき詩法を打ち立てた。マレルブの弟子であるバルザックは古典的散文を確立し,文法家ヴォージュラもそれに貢献した。社会の安定は,ランブイエ侯爵夫人のサロンをはじめとする多くのサロンを生み出すこととなった。多くの文学者が出入りするこれらのサロンでの交遊や会話が,フランス語の洗練化を促した。そこからデュルフェの『アストレ』(1607〜27)をはじめとするいわゆる気どり(プレシオジテ)の文学が数多く書かれた。スキュデリー嬢の『クレリ』(1654〜61)その他の小説もこの系列に属する。サロンを中心としたこれらの文学の反対物として,貴族的なもの・とりすましたものを嘲笑するいわゆるビュルレスク文学が生まれた。スカロンの『ビュルレスク詩集』(1643)・『滑稽物語』,フュルチエールの『町人物語』(1666)などが著名である。このようなさまざまな動きをはらみながら,時代は古典主義の確立にむかうのだが,思想の世界でこの傾向を鋭く表現したのはデカルトとパスカルである。デカルトはその方法的懐疑によって合理主義分析精神を徹底的に推し進め,一方パスカルは,実験的精神と心情の論理の両極を踏まえながらその実存的思考を厳密に展開した。かくして彼らは,現在にいたるまで思想の二つの典型として深刻広範な影響を与えているが,その文章においても,フランス語の思想的散文の究極の姿を示している。
フランス古典主義は,ルイ14世が君臨する17世紀後半においてその黄金時代を繰り広げる。演劇の分野においては,すでにコルネイユが『ル・シッド』(1636)によってフランス古典悲劇の礎を打ち立て,『オラース』(1640)・『ポリウクト』(1642),その他を書いて悲壮美にあふれた世界を展開した。フランス古典悲劇は,ラシーヌによってその頂点に達する。『アンドロマック』(1667)・『ブリタニキュス』(1669)・『イフィジェニー』(1674)・『フェードル』(1677)などの諸作は,厳格な三単一の法則を守りながら,鋭い心理分析と精妙な詩句によって完璧な劇的世界を築き上げた。晩年にはジャンセンスムの信仰に没入してポール=ロワイアル僧院に近づき,宗教劇『アタリー』(1691)などを書いた。一方喜劇の世界では,モリエールが現れて,イタリア喜劇とは異なるフランス古典喜劇を完成した。『才女気取り』(1659)・『女房学校』(1662)・『タルチュフ』(1664)・『ドン・ジュアン』(1665)・『人間ぎらい』(1666)・『守銭奴』(1668)・『町人貴族』(1670)などの作品は,単に表面的な笑いを誘うものではなく,人間性についての辛辣な観察と生き生きとした市民的道徳観に裏付けられ,さまざまな典型的人物をつくりあげている。またラ=フォンテーヌは,『イソップ』その他を素材として『寓話詩』(1668〜94)12巻を書き,清新な詩形と巧妙な擬人化によって多くの人々の心をとらえた。『詩法』(1674)によって古典主義の文学的方法を理論化したボワロー,『説教集』『追悼説教』を著した神学者ボシュエ,ボシュエの弟子で『死者の対話』や『テレマクの冒険』を書いたフェヌロンなどは,それぞれの分野においてこの時代の散文を代表している。モンテーニュが確立したモラリスト的人間研究は,人間の行為や心理の動機を自己愛にみるラ=ロシュフーコーの『箴言と考察』(1665)や,人間の多様な性格を的確に描き出したラ=ブリュイユールの『人さまざま』(1688)を生んだ。フランス心理小説の洗駆的存在といわれるラ=ファイエット夫人の『クレーヴの奥方』(1678)や,鋭い観察と分析によってフランス書簡文学の範といわれるセヴィニエ夫人の『書簡集』(1725)が生まれたのも,時代全体に通じる人性探究の精神の現れである。レス樞機郷の『回想録』(1717)も興味深い作品である。
【18世紀】17世紀末から18世紀初めにかけて“古代派-近代派論争”という論争が行われた。古代派のボワローその他と近代派のペローその他とのあいだで,古代文学と近代文学との優劣をめぐって交わされたものである。このような論争がおこったことの背景には,諸科学の発達によっていっさいを相対的にみる立場が生まれてきたという事実がある。このことは,人間それぞれの自然性の重視という考え方に通じるのであって,これらが18世紀啓蒙主義の特質をなす。諸権力の分立を説いたモンテスキューの『法の精神』(1748)は,そういう啓蒙主義的精神の先鋭な現れである。唯物論的な『盲人書簡』(1745)や風刺的な対話小説『ラモーの甥』(1762執筆)を書いたディドロは,実証的な百科全集の編さんを志し,ダランベール・ヴォルテール・ルソー・コンディヤック・モンテスキューなど,当時の代表的啓蒙主義者たちが協力した。これらの人々を百科全書派と呼ぶが,ヴォルテールはこの派を代表する存在であって,詩・劇・歴史・批評・哲学など多種多様の分野にわたって,活発な批判精神を振るった。ルソーは,民権を主張する『社会契約論』(1762)・教育論『エミール』(1762)・自伝『告白』・哲学的随想『孤独な散歩者の夢想』(1776〜78)などを書いて単なる啓蒙思想を超えた強い影響を及ぼし,フランス大革命をおこす原因の一つとなった。アベ=プレヴォーは,情念の絶対性を主張する恋愛小説『マノン・レスコー』(1731)を書き,ルソーの弟子であるベルナルダン=ド=サン=ピエールは,素朴な恋物語『ポールとヴィルジニー』(1787)を書いた。写実小説の先駆として,ル=サージュの『ジル・ブラース』がある。ラクロの『危険な関係』(1782)は,貴族階級の生理と心理を残酷に解剖した異色作である。道徳的異端として社会的指弾を受けたサド侯爵の小説は,20世紀に入って高く評価されるにいたった。演劇の分野では,世紀の前半に小説も書いたマリヴォがいるが,『セビリアの理髪師』(1775)・『フィガロの結婚』(1784)など鋭い風刺と生き生きとした笑いにあふれた作品を書いたボーマルシェは,この世紀最大の劇作家である。詩は全体として振るわなかったが,シェニュが『牧歌』その他によって新鮮な抒情性を復活した。
【19世紀】大革命は,多くの貴族や知識人に国外への亡命を余儀なくさせたが,この亡命生活が人々に,フランス文化そのものを相対的にみる視点を与えた。このことがドイツやイギリスのロマン主義文学の流入を容易にし,フランスにロマン主義文学が生まれる機縁となった。前期ロマン派と呼ばれるのは,シャトーブリアンとスタール夫人である。ついで,流麗な抒情詩を書くラマルチーヌ,暗い厭世観に貫かれたストイックで哲学的な詩を書くヴィニー,都会的な機智にあふれたミュッセ,壮大な想像力と豊麗多彩な言語をそなえたロマン派の詩人たちが次々と登場した。とりわけユゴーは,この派最大の詩人であって,詩のほかに数多くの劇や『レ・ミゼラブル』その他の小説を書いた。この一派には,詩よりも批評にその本領を発揮し,近代文芸批評を確立したサント=ブーヴや,しだいにロマン派的詩法から離れ堅固で精妙な造型美をめざすにいたるゴーチェや,夢と狂気に貫かれた詩や短篇を書くネルヴァルなどがいる。散文詩の発端ともいうべき『夜のガスパール』(1842)を書いたベルトランも注目すべき存在である。小説の分野では,世紀病にとらえられた青年を描いたセナンクールの『オーベルマン』(1804)や,コンスタンの精妙な心理小説『アドルフ』(1616)がまず現れるが,この分野で19世紀前半を蔽う巨大な存在は,スタンダールとバルザックである。スタンダールは,18世紀風の感覚主義と鋭い分析精神とを結びつけ,明晰な文体で『赤と黒』(1830)や『パルムの僧院』(1839)のような小説のほか,『恋愛論』や『ラシーヌとシェイクスピア』のような評論を書いた。またバルザックは,96篇に及ぶ小説を“人間喜劇”という総題でまとめ,激しいロマン主義的情熱と写実的観察とを溶かし合わせながら,さまざまな情熱や観念にとりつかれた無数の人物を描き,大革命直後から1848年の二月革命にいたるまでのフランス社会の全体像を創造した。バルザックにおいてフランスの小説的散文は,比類ないひろがりと豊かさに達したといえる。特異な田園小説や社会小説を書いたジョルジュ=サンド,『カルメン』その他で明晰冷静な文体で情熱的人間を描いたメリメ,鋭い自伝的心理小説『ドミニック』を書いたフロマンタン,通俗小説で人気の高かったデュマ=ペールなども重要な存在である。またギゾーやミシュレなどの歴史家も活躍した。19世紀の後半にいたるとロマン主義が衰退し,客観的傾向が強まった。不感無覚の姿勢と堅固な造型美に貫かれた『古代詩集』の作者ルコント=ド=リールを中心とした高踏派の運動が詩におけるその現れであって,ゴーチェ・バンヴィル・エレディアなどが集まった。彼らとほぼ同世代に属するボードレールは,『悪の華』(1857)や散文詩集『パリの憂鬱』で,さまざまな矛盾や対立をはらんだ近代人のありようを,きわめて意識的な詩法によってあますところなく表現した。ボードレールの後を継いでマラルメやヴェルレーヌなど,いわゆるフランス象徴派の詩人たちが現れる。マラルメは,ボードレールの意識的詩法を徹底的に推し進めて詩の言語を純化し,暗示的手法によって純粋詩の極化とも評される作品を書いた。ヴェルレーヌは,精妙な音楽性に貫かれた詩句で不安に揺れ動く感情を表現した。またランボーは,通常の措辞法を大胆に破壊して怪奇な想像力と生なましい生命感にあふれた詩を書き,20世紀文学に決定的な影響を及ぼした。ロートレアモンは,壮大な悪の叙事詩ともいうべき『マルドロールの歌』を書き,これまた今世紀にいたって高く評価された。小説の分野で,ボードレールと相応じる位置にいるのはフロベールである。彼は刻苦の限りを尽した文体と厳密な観察とによって,『ボヴァリー夫人』(1857)その他を書いて近代写実主義小説を確立すると同時に,『聖アントワヌの誘惑』のような幻想的象徴的小説も書いた。写実主義の作家としては,浮世絵の研究でも有名なゴンクール兄弟がおり,ゴンクールの弟子ドーデは,写実的だが自然や人間に対する情愛にあふれた作品を書いた。このような客観的傾向は,時代が世紀末に近づくにつれていっそう強まった。論壇ではテーヌが,文学者や文学作品の成立を“人種”“環境”“時代”の3要素と,作者の「主要能力」とで説明する唯物論決定論を主張し,ルナンは『イエス伝』(1863)でイエスからその神性を剥奪した。またベルナールの『実験医学序説』(1865)やダーウィンの『種の起源』(1859)が現れた。これらの著作が示す実証主義思想は,一般の人々の内部にまで深く浸透した。ゾラの自然主義小説はそういうことを反映している。彼がバルザックにならって編んだ20巻からなる『ルゴン・マッカール叢書』(1871〜93)は,少なくともその意図においては実証主義思想の小説における実践である。ゾラの周辺には,長篇『女の一生』のほか,数多くみごとな短篇で日常の悲劇を描いたモーパッサン,のちにカトリックに回心して象徴主義的作風に移ったユイスマンスなどがいた。また,実証主義に反対して倫理的な小説を書いたブールジェ,懐疑的で知的な小説を書いたフランス,異国趣味の作家ロチ,初期の観念小説から民族主義にむかったバレス,簡素で鋭いタッチで短篇や小品を書いたルナールなどがいる。一方,詩壇では,1880年代に入ってラフォルグその他「デカダン」と呼ばれる詩人たちや,『象徴主義宣言』(1886)を書いたモレアスを中心とした狭い意味での「象徴派」の詩人たちが現れた。サマン・レニエ,それにベルギーのメーテルランクなどもこの派に数えられる。演劇はオージェやテュマ=フィスなどによる写実主義演劇に始まるが,世紀の後半にベック・ポルト・リッシュ・ロスタンなどが出た。
【20世紀】ヴァレリー・ジッド・プルースト・クローデルの4人は,19世紀の遺産を受け継ぎながら20世紀文学の礎を築いた巨大な存在である。マラルメの弟子であるヴァレリーは,徹底的な意識化によって師の詩法に新たな展開を与え,20世紀を代表する詩や散文を書いた。ジッドもマラルメの影響下に出発したが,やがて小説に転じ,不安な鋭い批評意識と大胆な方法的冒険によって『にせ金作り』(1925)ほか数々の問題作を書いた。プルーストは,ベルグソンの哲学などからも強い刺激を受けて,大作『失われた時を求めて』(1913〜27)を書いた。これは無意識的想起によって記憶の底に眠っていた過去を甦らせることを主題としたもので,20世紀最高の小説の一つである。クローデルは,若年期にランボーの詩を読んで超自然的なものに触れたことが契機となってカトリックに回心し,激しい劇的感覚と深い信仰とが結びついた詩劇や詩を書いた。この4人とほぼ同世代に属する人々のなかで注目すべきは,『ジャン・クリストフ』などの理想主義的小説を書いたロラン,自然愛にあふれた抒情詩からカトリックに移ったジャム,カトリック的神秘主義の詩人ペギー,庶民生活の作家フィリップなどである。彼らより一つ下の世代には,詩・小説・劇・映画などに多彩な才能を示したコクトー,霊的な宇宙感覚に貫かれた詩や小説を書いたシュペルヴィエル,カトリック小説家モーリャックやベルナース,特異な幻想小説を書いたアラン=フルニエ,優れた心理小説家シュランベルジェ,『チボー家』などの大河小説を書いたマルタン=デュ=ガール,ヒューマニズムの作家デュアメル,冒険的精神にあふれたラルボーなどがいる。詩における新しい動向は,アポリネールという先駆的存在によってみずみずしく打ち出されていたが,ツァラなどのダダの運動をへて,ブルトンを中心としたシュルレアリスムがそれを全面的に展開した。フロイトの深層心理学の影響のもとに無意識を解放し,理性の支配を打ち倒そうとするこの派の主張は20世紀美学の典型とでもいうべきもので,アラゴン・エリュアール・スーポー・デスノス・シャール・ミシュー・クノー・グラック・プレヴェールなど多くの詩人や作家が集まった。のちに派は分裂し,アラゴン・エリュアールらはコミュニズムに転じたが,この運動がその後の文学に及ぼした影響はきわめて大きい。このような運動と並行して,ドリュー・ラロシェル・セリーヌ・モンテルラン・サン=テグジュペリ・マルロー・ラディケ・グリーン・シャルドンタなどの小説家が現れ,それぞれ特異な才能を示した。演劇の分野では,コポーによるヴィコー=コロンヒエ座の創立(1913)が強い刺激となり,象徴的な心理劇を書いたジロドゥーを初めとしてウィルドラック・パニョール・アヌイなどの劇作家が活躍した。アラン・チボーデ・シャルル=デュボスなどの哲学者や批評家の仕事も注目すべきである。第二次世界大戦は多くの優れた才能を失ったが,アラゴン・エリュアール・ウェルコールなどの抵抗文学を生んだ。戦後の文学は,サルトル・カミュ・ボーヴォワールなどの実存主義文学に始まる。ジュネの小説,ブランショの批評や小説もこの傾向に属する。1950年代に入るとロブ=グリエ・ビュトール・サロート・シモン・デュラスらのヌーヴォー=ロマン(新小説)と呼ばれるものが生まれた。またイオネスコ・ベケット・アダモフらのアンチ=テアトル(反演劇)も,現代の人間存在の不安な謎に挑戦した。さらに若い世代では,詩ではボヌフォワが,小説ではソレルスやル=クレジオが注目すべき作品を示している。
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