●プラハの和約 プラハのわやく
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1866 ドイツ連邦
普墺戦争を終結させるために,1866年8月23日に結ばれた和約。プロイセン軍は,開戦後まもなくケーニヒグレーツにおいてオーストリア軍に大きな打撃を与え,ウィーンに迫る勢いであった。そのためプロイセンの決定的勝利を恐れたナポレオン3世の仲介で講和が成立し,戦争はわずか7週間で終了した。ビスマルクは,将来オーストリアを敵に回すことを避けようとして,和平交渉にあたってはオーストリアに領土の要求はしなかった。条約では,[1]ドイツ連邦の解散,[2]オーストリアは今後いっさいドイツの問題に干渉しないこと,[3]シュレスヴィヒ・ホルシュタイン・ハノーヴァーは,プロイセンに併合されること,[4]オーストリアは,ヴェネツィアをイタリアに割譲することなどが決定された。この結果,プロイセンは,これまで東西に分離した地域を連絡し,ほかのドイツ諸邦を圧倒的にしのぐ一大勢力となり,また北ドイツ連邦を組織して,ドイツ統一の主導権を握った。