●プラトン
ヨーロッパ ギリシャ共和国 BC427
前427〜前347 古代ギリシア最大の哲学者。弟子アリストテレスとともに,西洋哲学史に絶大な影響を与えた。【生涯】父アリストンも母ペリクティオネも,アテナイ名家の出身。ペロポンネソス戦争中に幼少年期を過ごし,青年期にソクラテス晩年の弟子となったが,師とは異なり,政治的実践の場で活躍することを熱望していた。しかしペロポンネソス戦争直後に成立したクリティアス(プラトンの母の従兄弟)一派の寡頭政治の暴政(前404〜前403),その後に復活した民主政治のもとでのソクラテスの刑死(前399)などを経験して,アテナイの政治に絶望し,ソクラテスの哲学の道を継承し,発展させていくことになる。ソクラテス死後の10年余りのあいだには,知識を求めて遠くエジプトや南イタリア・シチリア方面にまで旅行した。南イタリアのタラス(今日のタレント)ではピタゴラス派のアルキュタスを訪問して感化を受け,シチリアではシュラクサイ(今日のシラクーザ)の僭主ディオニュシオス1世の宮廷に出入りし,その義弟の青年ディオンに大きな感化を与えた。40歳のとき帰国して,アカデメイア(アテナイ郊外の体育場)に学園を創設し,以後,死にいたるまで40年間,学園の長として教育や研究に従事しつつ,師ソクラテスを主人公とする哲学的な対話編を執筆した。そのあいだアテナイの政界ではまったく活躍しなかったが,ディオンの招きにより,若い僭主ディオニュシオス2世を“哲人王”として教育するために,2度もシュラクサイヘ渡航するが,権力争いに巻き込まれて,苦労したたけで完全に失敗した。しかし学園アカデメイアはプラトンの死後も数世紀にわたって存続し,プラトンの著作も今日まで完全に伝えられ,キリスト教やヨーロッパ思想に絶大な影響を与えた。
【著作】その著作は,『ソクラテスの弁明』と書簡を除いては,すべてが対話編であるが,それら全部が古代以来,9組の4部作に分けて編集されている。第1番目の4部作は,『ソクラテスの弁明』や『クリトン』を含み,ソクラテスの裁判から刑死にいたる事件と関係したものである。しかし第2番目以下の4部作は,概して扱われている問題や議論の展開に従って配列されているようである。これら36編の作品のうち『第2アルキビアデス』『ヒッパルコス』『恋がたき』『テアゲス』『クレイトポン』『ミノス』『エピノミス』および書簡の数通は,明らかに偽作だとされている。これらは軽い作品であるから,いずれにしても大きな問題ではないが,さらに『ヒッピアス(大),(小)』『メネクセノス』『第7書簡』などのように,かなり重要な作品でも,真偽をめぐって論争のつづいているものもあり,その結論はプラトン像に相当な影響を及ぼす。各作品の執筆年代についても,19世紀以来論争がつづいているが,今日では,言語上の特徴および思想内容の観点から,大まかに前・中・後期に区別することはできるようになっている。
【思想】『ソクラテスの弁明』『ラケス』『カルミデス』『エウテュプロン』『クリトン』など,初期の作品は,人々との問答を通して徳性(勇気・思慮・敬虔など)について真の知識に到達しようと努力するソクラテスの独特の研究教育活動を描き出す。ソクラテスにとっては,正しい知識はそのまま正しい実践をもたらすはずであった(知徳合一説)。『パイドン』『シュンポシオン』『国家』など,中期の対話編は,以前に行われたソクラテスの問答を,登場人物が語り聞かせるという形式のものが多く,その語り手を通じて問答の場面の情況をも描き出すので,文学的に多彩になっている。いぜんとしてソクラテスが中心的役割を演じているが,その語る説(超越的イデアこそが真実在で,現実のものは模像にすぎないとか,一種の共産主義を含む理想国家論など)は,むしろプラトン自身の説だと考えられる。『ソフィスト』『政治家』『ピレボス』などの後期の作品になると,文学的生彩は乏しくなり,ソクラテスの役割も小さくなるが,認識論などについて精密な議論を展開する。さらに『ティマイオス』では壮大な宇宙生成論を,最後の作品『法律』では,『国家』の理想国家から一歩退いて実現性のある国家の法について詳細に論じている。これらの著作からプラトンの思想を整然たる体系としてとらえるのはきわめて因難である。