●プラッシーの戦い プラッシーのたたかい
ヨーロッパ フランス共和国 AD1757 フランス王国
イギリス・フランスの激しい植民地抗争の一つで,インドにおけるイギリスの勝利を決定づけた1757年の戦いをいう。プラッシーはベンガルのナディヤ地方バンギラティ川畔の地。かねてベンガル進出をねらっていたイギリス東インド会社は,敵対関係にあったフランスの攻撃に備えるため,1756年太守シラージュの許可なくカルカッタ城塞を強化しようとした。太守は工事中止要請を拒否されると,憤激してカルカッタを占領した。会社側はマドラスのクライヴに援軍を頼み,翌年カルカッタの奪回に成功したが,これを機に太守はシャンデルナゴールに拠点を置くフランス側にいっそう接近することになった。1757年6月22日未明,ついに両軍はプラッシーの野で相対した。太守軍7万に対しイギリス軍は3,000,数のうえではるかに劣勢なイギリス軍は近代兵器で応戦,さらにクライヴが抱きこみをはかっていた太守軍の参謀長ミール=ジャーファルが謀反をおこし,夕刻には勝敗が決した。数日後太守シラージュは捕えられ処刑。かわってミール=ジャーファルが新太守に就任したが,結局イギリスの傀儡と化した。この戦いでイギリスは多額の賠償金のほか,カルカッタ周辺の24郡のザミンダーリー(地租徴収権)を獲得,事実上ベンガルの支配権を確立した。