●ブラック・ムスリムズ
北アメリカ アメリカ合衆国 AD
アメリカの黒人イスラーム教団。他の公民権団体とは一線を画した特異な存在で,中東をはじめ世界のイスラーム教徒と直接の関係はない。【教団の創立】アメリカをはじめ世界が不況のどん底にあった1930年ごろに創立された。1897年にジョージア州サンダーヴィルに生まれたイライジャ=プールは13人の子供の一人として育ち,小学校も5年ほど通っただけで,16歳のときには家を離れ,農場や鉄道で労働者として働き,1923年にはデトロイトへ出て,1929年まで自動車会社シヴォレーで働いた。この間クララ=エヴァンズと結婚,6人の息子と二人の娘をもうけている。1929年の大恐慌で失業したとき,すでに黒人イスラーム教団を創立していたファードと出会い,そのメンバーとなった。翌1930年に彼はファードに代わってこの組織のリーダーとなり,名もプールからムハンマドと改め,以後イライジヤ=ムハンマドと称するようになった。ファードはその後消息不明。おそらく小さな秘密結社的教団として発足したものと考えられ,そのため創立前後の事情はきわめて漠然としている。
【黒人優越思想の確立】ムハンマドは1931年に寺院第1号をデトロイトに建設し,“黒人の優越”を人びとに説いた。白人と黒人が融和し,統合して生活することは不可能で,人種的に分離すべきであり,黒人は元来白人よりも優越した人種であることを強調した。こういう思想が警察当局から警戒されることになったのは当然で,1933年にはイスラーム教団のなかに学校を組織し,自分の子供をそこで教育して公立学校へ通わせることを拒否したので,ついに警察に逮捕され,以後シカゴへ移ってここを活動の根拠とするようになった。ほぼ第二次世界大戦中にあたる1942年から1946年まで,徴兵を拒否してシカゴの刑務所で過ごしたので,1950年代に入るまではこの団体の存在を知る者はごくわずかだった。しかし絶えることなくつづいていたのは,1920年代ニューヨークのハーレムを中心に一時急速に高まったマーカス=ガーヴェイのアフリカ回帰運動のブラック=ナショナリズムや,大都市の黒人スラム街のフラストレーションなどと密接に結びついた背景があったからである。
【マルコム X の役割】1950年代の後半から1960年代にかけて,黒人革命と呼ばれるほど激しい黒人解放闘争がすすみ,いくたの公民権団体が活躍して黒人大衆の意識も高まるようになって,この黒人イスラーム教団も急速に勢力を拡大した。1959年までには,22州にわたって寺院第50号までの建設がすすみ,その名は一挙に多くの人びとに知られるようになった。アラーの預言者と称するイライジャ=ムハンマドの右腕といわれたニューヨーク地区の指導者マルコム X は,ムハンマドとともに不思議なカリスマ性をもち,政治的才能も豊かで,また人を惹きつける雄弁家でもあった。しかし彼は1963年末にムハンマドと意見がたびたび対立し,12年間働いてきた同教団を脱退,新しい宗教組織として“ムスリム=モスク”を,政治組織として“アフリカ系アメリカ人統一機構”を結成,メッカやアフリカ諸国を訪ね,有色人の世界的連帯をめざしはじめた1965年2月,ハーレムで暗殺された。勢力の分散を防ごうとした黒人イスラーム教団の内部に犯人がいるといわれたが,真相は明らかにされなかった。
【ブラック=ナショナリズムの系譜】この団体の考えによれば,アラーの神が最も信頼を托したのは黒人たちで,白人とキリスト教徒はやがて衰え,西暦2000年には世界の有色人が代わって世界を支配することになるという。その思想的な急進性の割に行動としては穏健で,学校を47校も建て,イスラム大学を創設,発行部数約50万部の週刊新聞“Muhammad Speaks”を発行し,会員は20万前後と考えられている。他の公民権団体と行動をともにせず,強烈なブラック=ナショナリズムの系統に入るものである。