●船 ふね
AD
船は基本的には「水に浮して使用する構造物であって,これに人や物を乗せて運搬することをもって目的とするもの」であった。しかしながら文明の進歩とともに,その構造・用途・使用の形態など非常にその範囲を広げ,“水に浮く船”ばかりでなく“水中に潜る船”や“水面から離れて空中を走る船”なども現れ,一方においてはその用途も,“人や物を乗せて運搬するという以外の目的に使用される船”も多く現れてきている。“ふね”は小さい物から大きなものへと,舟・艇・船・舶,そして軍用には艦などの字を当てて表現しているが,一般には小型のものを舟艇あるいは端舟(はしぶね),大型のものを船舶と表現している。船舶については,「船舶法施行細則」によって法律上の定義が示されている。すなわち〈船舶には汽船と帆船の2種類があり,機械力を以て運航する装置を有する船舶は,蒸気を用うると否とに関わらずこれを汽船と見なし,主として帆を以て運航する装置を有する船舶は,機関を有するものであっても帆船と見なす〉とあり,さらに,〈浚渫船は推進器を持っていないので船舶とは見なされない〉と定められている。しかしこれは「船舶法」における定義に過ぎず,一般概念としては,浚渫船(海底の土砂を掘り上げる船)もまた,その目的に使われる“船”であるといえる。すなわち船としての条件は,[1]水中・水上を問わず浮揚性をもつ構造物,[2]その浮揚性を利して他物を積載し,移動可能であることなどがある。それとても範囲は広げられて柔軟な解釈が要求されるようになっている。このほか法律的にいえば「海上運送法」では,商行為をなす目的をもって航海の用に供するもののみを船舶とし,端舟その他,主として櫓・櫂のみで運転する船は船舶とみなさない。「船舶安全法」では,旅客運送の用に供するものを除く総トン数5トン未満の船舶は含めないとするなど,法規によって定義が異なる。【船の歴史】原始人が浮木につかまって水上を移動したことは当然考えられるが,2本以上の浮木を結び合わせることによって筏とし,木のかわりに浮揚性のある草(葦など)を束ねて結び合わせて葦船としたであろうことは当然考えられる。しかし記録された絵または発掘物によって舟の形がわれわれの前に現れるのは,前5000年ごろからである。その第一はエジプトで発掘された花瓶に描かれた舟で,パピルスという草でつくられた葦舟である。この種の葦舟は現在でも未開地においては広く使われている。アフリカ内陸のチャド湖ではこれをカダイと呼んでいるが,南米のチチカカ湖にも同様の葦舟が現用されている。モーゼが幼時にこれに乗せられて流されたという伝説があり,『古事記』には水蛭子(ひるこ)を葦舟に入れて流したと記されており,世界中広く使われていたことが知られる。前2500年ごろのエジプトの壁画には,その製造法が明確に描かれている。
古代アッシリアにおいては獣皮を空気でふくらまし,これを抱いて水上を渡っている彫刻の絵があるが,前800年のころのものである。さらにいくつもの皮袋を並べて浮きとし,その上に木材をのせてつくった皮袋筏ともいうべきものが同じ絵のなかに描かれている。これはその地すなわち現在のイラクのチグリス川中流で,ケレークと呼ばれて現在も使用されている。同様のものが中国の黄河上流にも古代から存在し,現在なお使用されている。そして現地では皮筏子と呼ばれている。
同じ考え方で皮袋の代わりに陶器の瓶(かめ)を使ったものがあり,埴土船(はにぶね)といわれた。『日本書記』にもこの名があるが,ガンジス川・ナイル川・鴨緑江などに伝えられて現存している。
また獣皮を船の外板用に使用したものも多く使われた。アイルランドのコラクル,北米インディアンの牛皮を張ったブル=ボート,チグリス川のクーファ,オホーツク沿岸のコリヤーク族やアラスカのエスキモー族が使用しているカヤークなど,いずれも同系のもので,簡単な骨組みを木の枝でつくり,外板に当たる部分に獣皮を使った小舟である。さらにこの獣皮の代わりに木皮を用いたものがつくられ,ユーカリ樹皮などが用いられた。タスマニア島・ボルネオ島,あるいは南米マジェラン海峡のフェゴ島などに伝えられている。
船材として木を使用するようになってから船は急速に発達していく。単なる筏ではなく船形を形つくり,人が乗るための場所を刳(く)り抜く方法によってつくられた刳舟(くりぶね),すなわち丸木舟(まるきぶね)は,やがてその船側に波よけの板を張ることによって半構造船に発達し,それが船底部も刳舟とするかわりに,板によってつくり上げた構造船へと発達していった。
前3000年ごろ,エジプトのピラミッド建設には,ナイル川の船が大いに利用された。この時代には,すでに帆船が用いられ,前1500年ごろには,エジプトのハトシェプスト女王は大洋航海用の大形帆船をつくった。前1180年ごろのラムセス3世の海上戦争の図に描かれた軍船の概形では,マストは船の中央にあり,ヤード(帆桁,ほげた)がこれに T 字形に固定され,帆は甲板上から綱で操作できるようになっていたと解釈できる。そして両舷(りょうげん)に高い舷檣(げんしょう,ガンネル)が張り巡らされている。このように軍艦は比較的小形で軽快に,しかも乗員は多く,主としてこぐ力にたより,商船は大形で乗員は少なく,主として帆の力にたよるという船形の相違が生じはじめた。これらはフェニキア人によって前2000年ごろから達成されていった。地中海では,前500年になると,フェニキアに代わってギリシアが活躍を開始し,ついでカルタゴが,そして前200〜後300年にはローマが地中海の覇権(はけん)を握った。その間に発達した軍船がガレー船で,船体は細長く,舷側は低く,櫂でこぐのを主とし,初期には2段ガレー船,後代には3段・5段のものが現れた。これらは船首に衝角を取り付け,敵船に体当たりして突きさし,沈没させるしくみのもので,船体各部の構造は,他の地方に見られない発達を示した。
ローマ時代の商船(穀物船が多い)は横帆船で,あらゆる風向に対して操船の自由をもつ種類の帆装ではなく,船の積載量は,人員276人と穀物を満載したもので,船体が大きくて操縦しにくかった。
わが国では,『古事記』『日本書紀』などに多くの海上交通の記録があるが,応神天皇のころ非常に海路交通が盛んになり,274年伊豆の国に命じて大船をつくらせ,枯野(からぬ)と名づけたとあるのが名まえをつけた日本船の最初であるといわれる。600〜839年には遣隋使・遣唐使は1隻に120人を乗せる大型船数隻で,多いときは651人を運んだ。
中世初期のヨーロッパは科学の衰微期にあたり,8〜10世紀のノルマン人のバイキング船の活躍のみが足跡を残した。ポルトガルのヘンリー航海王子が1419年に航海学校を建ててから,横帆を大きく開いたバイキング船(北方型船)とレパント地方の縦帆船(南方型船)とを組み合わせ,キャラベル船として改良が加えられ,帆の開き方によっていかなる風に対しても操船できるようになった。1492年にコロンブスが新大陸発見に使ったサンタマリア号(280トン)も3本マストのキャラベル船であった。15〜16世紀の大航海時代には,この型およびその改良型が多く使われたが,17世紀前半アメリカへの移民が行われたころには横帆を主としたバーク型が,さらに1713年に縦帆を主としたスクーナー型が出現し,19世紀にはこれが大形化し,木鉄交造船となり,1843年には大形鉄船グレート=ブリテン号(3,270トン)が建造された。横帆式帆船はさらに発達して,1845年にはクリッパー型の第1船としてレインボー号がつくられ,それ以後急速にこの型が普及し,茶・羊毛など各種の貿易品専用のクリッパーが1日の平均航走距離200海里の快速で活躍し,ここに帆船の黄金時代が出現した。しかしこれも1869年のスエズ運河の開通と汽船の発達とによって終了した。
【汽船の発達】1807年にアメリカ人フルトンがハドソン川で蒸気機関を使ったクラーモント号を32時間,240キロ航行させたことは,汽船の発達へのスタートとなった。1838年には最初のスクリュー汽船アルキメデス号が建造され,フルトン以来使われた外輪船はスクリュー船に座を譲った。しかしさらに1897年に,最初のタービン船タービニア号が,34.5ノットという未曾有(みぞう)の快速で疾走したことが,往復動機関のみであった汽船の原動力を,タービンに変えるきっかけとなった。さらに1893年にはディーゼル機関が開発され,海上における動力の革命といわれる原子力の利用が始められ,1954年アメリカの原子力潜水艦ノーチラスが建造された。その間に,第2次世界大戦前約半世紀間つづいた大西洋における豪華客船時代があり,さらに1957年ごろから日本の学者たちによって提唱された自動化船の開発は,1961年に金華山丸の建造によって実現され,近年はコンピューターによって機関操作その他を自動化したいわゆる超自動化船もつくられた。
1960年代末から70年代にかけて,商船の傾向として注目されていたものは,その大型化・高速化・専用船化であった。大型化については,タンカーすなわち油送船がその中心をなした。重量トンにおいて3万トン級のスーパー=タンカーから始まり,6万トン以上のマンモス=タンカー,10万トン以上のモンスター=タンカーなどの名がつけられていたが,1977年には50万重量トンを越える超大型タンカーも竣工した。しかし通過航路の水深と船の吃水との関係の限界の問題などもあり,石油の需給問題もあり,大型化の限界へ来た状態と見られる。また高速化の問題は速力50ノットを越え250人乗りの性能をもつ水中翼船や,近い将来に1,000トン以上,速力80ノット以上のホバー=クラフトも出現が期待されてはいるが,これらは大型商船の代表ではなく,基本的には大型商船の機関の大出力化が期待された。その結果として巨大船でも1機1軸船が可能となり,船型問題の研究と併せて輸送効率の高い船が出現,1機5万馬力のタービン機関も出現した。またディーゼル機関についても,かつては1機当り1万馬力どまりが常識であったのに,最近は4万馬力のものも現れ,蒸気タービンの出力に迫っている状況である。また専用船化については徹底した専用船化が進み,輸送効率をきわめて高めたといえる。日本の場合その船腹量の順にこれを示せば次のようなものがある。
[1]油送船(オイル=タンカー),[2]油/乾貨物兼用船(鉱/油,炭/油,鉱/撒/油,撒/油などそれぞれの兼用船),[3]オア=バルクキャリア(鉱石,鉱/炭,鉱/撒,石炭,ニッケル,ボーキサイト,撒積,穀物),[4]木材専用船(木材・パルプ・チップの各専用),[5]カー=バルクキャリア(自動車/撒兼用,自動車専用),[6]その他の専用船(鋼材,セメント,コークス,石灰石,土砂,冷凍・冷蔵),[7]化学薬品船,[8]液化ガス船(LNG 輸送船),[9]フルコンテナ船,[10]一般貨物船,[11]旅客船(旅客船・フェリー),[12]その他の特殊船(バージライン方式。タグ=ボート(曳き船)・プッシャー=ボート(押し船)・ロールオン=ロールオフ(RoRo,車輪つき車両を,牽引または自走で船に積み下ろしできる方式など))。
以上述べた傾向は1980年代になって若干変化し,船舶設備の技術革新と省エネルギー対策がこれに加えられた形となった。併せて船型については輸送ロット(1回ごとに輸送される貨物の量)と法律に合わせての適正化に力点がおかれるようになって来た。そして乗組員の数も1955年時代と比すると3分の1に減少するということに成功した。そのための船舶設備の技術革新としては,機関操縦その他に関する超自動化からさらに一歩を進めて,コンピューター制御による“船舶の知能化”へと進みつつある。また省エネルギーについては,飛行機の翼を縦にして船に取り付けた形の金属または帆布製の帆を取り付け,その操作を自動的におこなう帆走商船や,低速エンジンのギアー=ダウン方式の成功などにより,使用燃料を50%以上70%も在来より節約できるようになった。
【種類】分類方法が種々あるが,用途によって次のように分類される。
(1)軍艦(艦艇・特務艦艇)
(2)商船(客船・貨客船・貨物船)
(3)漁船(漁撈船・工船・運搬船・漁業調査団など)
(4)特殊船(特務船・作業船・引き船・はしけ・フェリーボート・練習船など)
【将来の展望】現在すでに示されている傾向は,汽船の発達の項に述べた以外に,無人船化がある。すでに機関室内の無人化は実現している(M ゼロ船)が,他部門も自動化が進み,人員を必要としなくなり,きわめて少数の人間で大形船を動かすようになると考えられる。また客船は動揺防止装置がさらに完備して,船酔いなどがおこらなくなり,快適な航海が可能になるであろう。そして航空機の発達によって,いちおう豪華客船時代は過ぎたけれども,世のなかが豊かになるに伴って,再度海上の旅行に人々があこがれをもつようになって,第2次豪華客船時代が出現し,しかもそれらは定期便で一定航路を走るだけでなく,各地を巡航する豪華船も多くなるであろう。またきわめて有効な船舶用ブレーキが取り付けられて,操縦は現在よりはるかに容易になり,航海はほとんどが自動式の電子航海設備によって行われ,衝突回避なども相当程度まで自動化され,すでに出現している ARPA(Automatic Radar Plotting Aids,自動レーダー=プロッティング装置)を上回る,知能的操船を自動的に船舶自身が行うようになるであろう。原子力船は当然採算もとれて一般化するであろうし,推進の方法も,水中翼船やエアクッション艇(ホバークラフト船)とは異なった方法により,抵抗の少ない方法で半航空機的なものも出現するであろう。その点でまず考えられるのが磁力推進船(フレミングの左手の法則を応用して,磁場と電流により運動力を得て進む船)の出現などであろう。また太陽電池の船舶推進への応用,場合によっては,海水電池の大形化などにより,エネルギーを海自体に求めて動く船が出現することも予測される。