●船霊信仰 ふなだましんこう
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海民が豊漁を願い航海の安全を祈って船に祀る神。海の人々にとって最も普遍的な信仰の一つである。このことばは古く『延喜式』の神名帳や『続日本紀』にも見える。全国的に見て,呼称はフナダマ・フナダンサマ(肥前小浜・天草島)・フナダマドン(鹿児島県甑島)・ヒナダマガナシ(鹿児島県沖永良部〈おきのえらぶ〉)などフナダマ系のものが多いが,船神様とかオフナサマなどと呼ぶ地方もある。船霊の形態には,[1]ご神体のあるもの,[2]ご神体のないもの,とが見られる。前者は男鹿半島・佐渡・越後・丹後・隠岐など日本海沿岸に多い。ご神体のない場合でも歳の晩や元日に船迎えの行事を行ったり,正月11日を船霊の元日・船霊節供・船霊祭などと呼んで儀礼が見られる。後者の場合,標準的な形態は,女の毛髪・男女一対の人形・銭12文(現在は多くは銅銭12枚)・賽2個であるが,そのなかのあるものが欠落している場合もある。これらの品々を多くは機械船以前は船の中央部に,あるいは帆柱の下のツツ・モリなどと称した部分にはめこんで蓋板をあてた。そのほか紅・お白粉などの化粧品や,櫛・かんざしの類など女性にかかわる品々や五穀を納める場合も見られる。最近では地域ごとに海民が信仰を寄せている社寺のお札を操舵室や機関室に船霊として祀る例が多くなった。女の髪の毛も特定の女性の髪の毛を納める例が多いことや,髪の毛を納めた女性とその船の関係がその後も続くことから,船霊の管掌者に巫女期があったことや沖縄のオナリ信仰との関連も想定される。男女一対の人形を納める背景には,漁業もやはり生産行為である以上生殖信仰が導入されたものと見られる。銭12文は閏年には13文と言われるが,近世に銭12文を紙に包んで神仏に献じ,山伏などに与えていた十二銅の習わしと無関係ではなさそうである。こうした習俗の背景には船霊の管掌者の山伏期があったことを想定させる。賽2個の伝承はその納め方が「天一地六オモテ三アワセトモ四アワセ」などと言って全国的にほとんど共通しているところから,教えまわった宗教者のいたことが考えられる。女性にまつわる品々を納めるのは船霊の管掌者が巫女であった時期の名残りで,現に船霊を女の神とする伝承は全国的である。五穀を納めるのは船霊祭の際の供物からであろう。ご神体は現在は船下ろしに当たって船大工の手によって納められる例が全国的であるが,不漁が続く際とか漂流死体を積んだ後,または中古船を買って操業する際に取り換えることもある。船霊がイサム・シゲル・サエズルなどと言って,チッチッという音が聞えてくることがあり,その音を船頭や経験者が聞き分けて大漁とか嵐または不吉なことがおこる前兆とする伝承も広く残っている。船霊信仰は現在は広く船大工の手によって管掌されているが,海上ではカシキと呼ばれる年少の炊事役が飯の初穂を供えるなどして奉仕している。海で遭難した際にほかの乗組員が死んでも,カシキは助かる例が多いという伝承も全国的である。〔参考文献〕牧田茂『海の民俗学』1954,岩崎美術社
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