●プトレマイオス
アフリカ エジプト・アラブ共和国 AD
2世紀の有名な天文学者・数学者・地理学者。生涯についてほとんど不明であるが,マルクス=アウレリウス帝の治世(161〜180)までアレキサンドリアに生存したことがわかっている。127〜141年の天体観測のデータが主著『アルマゲスト』の基礎になっている。彼の住んでいたカノボスに建立された石柱の碑文(147/148)は,『アルマゲスト』の数値を若干修正した内容を含むので,『アルマゲスト』はその年以前に書かれたらしい。惑星の位置を簡単に算出するための『簡便数表』が次に書かれ,有名な『地理学』は最後の著作となったと考えられる。天文学者としての彼の名を不滅にしたのは,一般に『アルマゲスト(Almagest)』と呼ばれている『数学集成』13巻である(この著作は,後に先人たち−−エウクレイデスやアリスタルコスなど−−の業績に比して“最も偉大”とみなされ,そのアラビア語訳 Almagest が一般化して今日に至っている)。このなかで彼は,多くをヒッパルコスに負っている。しかし月の理論ではヒッパルコスを訂正している。彼は出差を発見した。また,ヒッパルコスになかった惑星の理論を新たに考え出した。ところが彼は分点と至点の観測でミスを犯し,太陽表に1度の誤差が生じ,月表・恒星表・惑星表にそれが広がっている。プトレマイオスの宇宙体系では地球が宇宙の中心に位置する。しかし,アポロニオスやヒッパルコスの周転円/離心円の理論に基づいて惑星軌道の中心を地球以外に求めるので,厳密な意味でアリストテレスの天動説と異なっている。アラビアやヨーロツパ中世の天文学にこの著作の与えた影響の大きさは,残存する多数の写本や翻訳(ラテン語訳・アラビア語訳)によって示される。『惑星の仮説』二巻本は惑星の運行を理論的に説明し,『アルマゲスト』や『簡便数表』の黄緯移動理論をかなり修正している。彼はまた一つの著作のなかで,球面を南極からの中心投影によって赤道平面に写す“立体投影法”を紹介している。プトレマイオスの地理学上の名声は『地理学“地図製作のための案内”の意)』8巻によって確立された。第1巻は概論,第2〜7巻はエクメネーの三大部分ヨーロッパ・リビュア・アジア(インドとマレー半島・中国を含む)の地誌に類する事柄,第8巻は地域図を扱っている。彼は地理学の目的を「地球を複写的に叙述すること,しかも各地点はその天文学的データに適合するように規定すること」と考えた。そのために各地点の夏至(冬至)の昼間の長さを観測し,陸路のデータ(距離と方向)と海路のデータ(航行日数・風向と風力)を収集する必要性を十分に認識していた。しかし当時必要にして十分な情報を得ることは不可能であって,マリノスの著作を唯一の拠り所とし,他の情報によってそれを修正するという方法をとらざるを得なかった。彼は1度を500スタディアとするマリノスの換算値をも継承した。そこで,地球の周囲はエラトステネスの算出したほぼ正確な数字(25万スタディア)より約30%小さくなり,ユーラシア大陸の経度は約130度から180度に拡大されることになった。第2巻以降では,河口や山も含めた約8,100の地名がカナリー諸島を通る子午線を0度として,西から東ヘそれぞれ緯度と経度の表で記載される。各巻は冒頭に該当の地方名とそれに対応する地域図について内容記載し,各節の初めに土地の境界について簡単に叙述し,各段落の初めに地方の名称または住民の名称を記し次に都市名を記す。地誌は第7巻4章で終わり,5章ではエクメネーの限界とそれを取り巻く海が説明されている。彼は,ポセイドニオスの海洋説に反対して,大陸が海洋を取り囲んでいると考えた。それゆえアフリカは南の端で未知の大陸によって中国の東端と連結し,インド洋が内海となった。『地理学』は気候・産物・国勢など今日的意味での地誌的事項を含んでいない。しかしこれら多くの欠陥にもかかわらず,コロンブスの航海に見られるように後世に与えた影響はきわめて大きかった。このほかにプトレマイオスは占星術に関する理論書『テトラビブロス』(“四書”の意)を著した。この著作は中世に大いに重用され数多くの写本や翻訳が残存している。『音響学』3巻は音程・音階・調子などを数学的に解明している。『光学』5巻は,第1巻と第5巻の最後が欠けているが,錯覚に関する実験・視線の反射・水や空気の光の屈折率の測定などを含んでいる。『ヘゲモニコン』では認識論が扱われている。