●武帝 ぶてい
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中国の前漢第7代の皇帝(在位前141〜前87)。中央集権的専制主義に基づく古代統一帝国の完成者として,中国歴代の皇帝のなかでも最も著名な専制君主の一人である。その在位は半世紀余の長期にわたり,その間前漢帝国の最盛期を現出した。秦の始皇帝がめざした中央集権的専制主義は,前漢建国期に一時後退を余儀なくされた。しかし,呉楚七国の乱(前154,前元3)で弱まった封建諸国の勢力に対し,武帝は,「推恩の令」をはじめとする諸施策によってこれを抑圧した。また「郷挙里選の法」を採用して官僚制度を整備するとともに,董仲舒(とうちゅうじょ)を用いて儒教を専制支配の思想的支柱とするなど,中央集権的専制主義を完成させた。一方その充実した国力を傾けて対外的積極政策を推進した。戦国時代以来中国を圧迫していた北方の遊牧騎馬民族匈奴(きょうど)征討を遂行し,数十万人の大軍による外征を繰り返した。その後衛青・霍去病(かくきょへい)の活躍により匈奴を北方に退けることに成功した。また,西方の大月氏(だいげっし)と結んで匈奴を挟撃しようとして張騫(ちょうけん)を派遣し,東西交易路の中心となる西域諸国を従えた。このため漢とローマを結ぶ「絹の道」の交易が盛んとなって,東西交渉のルートが開通した。このほか南越遠征によって9郡を設置したあと,朝鮮に出兵し衛氏朝鮮を滅ぼして,4郡を設置するなどその版図を拡大した。このような大規模な外征による国庫の窮乏を救うためにも,中央集権的専制主義を完成するためにも,積極的な財政政策を実施する必要があった。武帝は,強力に新たな施策を実施した。五銖銭の鋳造による経済の安定,銭納賦税をはじめとする諸新税,売爵制,塩・鉄・酒の専売,均輸・平準法など国庫収入の増加をはかることに努めた。しかし民力の疲弊が進み,大商人・大土地所有者が勢力を拡大し,貧民・流民が増加して武帝の治世の晩年には帝国衰退の兆しが表れた。