●ブットー
アジア パキスタン・イスラム共和国 AD1928 英領インド帝国
1928〜1979 パキスタンの政治家。父はシンド地方の大地主で,藩王国ジュナーガドの宰相を務めた。1947年からアメリカ・イギリスで政治学・法学を学び,1953年カラチにもどる。法学校での教職,国連代表団員を経て,1958年クーデタで成立したアユブ=カーン政権の商業相として政界入り。情報・国家再建相,資源相を歴任,1963年外相。第二次インド-パキスタン戦争後の1965年にアユブ政権を離れ,1967年に人民党(PPP)結成。1970年の制憲議会選挙で躍進。1971年12月の第三次インド-パキスタン戦争のとき,副首相兼外相。戦後ヤヒヤ=カーンに代わって大統領就任,バングラデシュ離脱後のパキスタン再建に尽力。主要産業国有化・労働法改正・土地改革などの政策を打ち出す。対印関係では友好維持を図るが,親米・親中国方針を貫く。1973年新憲法制定。内政では野党弾圧など強硬策を実施。1977年のクーデタで逮捕・投獄。1979年2月,政敵殺害の罪状で最高裁による死刑判決。4月に処刑が断行された。