50音順    検 索

●仏図澄 ぶっとちょう

AD232 

 232〜348 中国の五胡十六国時代の外国僧。亀茲(クチャ)の人。310年(光興1)洛陽にきて寺を建てようとしたが乱にあって果たせなかった。のち後趙石勒より篤い信仰を受け,大和上・国の神人と呼ばれるに至った。彼は訳経・著作について特別に記すべきものをもたないが,神異霊顕の仏教で石勒の信頼を受けた。当時のいわゆる胡族国家は仏教によって国を維持する政策をとり,僧侶で国の枢機に携わる者も多かった。仏図澄もその一人であった。そのため後趙二王の石勒石虎の軍政に参画した。二王の深い信仰のもとに三十余年にわたり,老仏図澄の布教によって仏寺の建立893・門徒1万と称された。仏図澄が五胡仏教史上大きな地位を占める理由の一つは,彼の門下に泰山の僧僧朗・前秦苻氏時代の長安仏教界の名僧道安四川仏教の開拓者法和・南方東晋の建康仏教(南京)の花形法汰以下,多くの高僧がその門下にあって南北各地の仏教の発展の原因となったためである。