●復活祭 ふっかつさい
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イースターとも言われる。キリスト教会暦での重要祝日の一つ。イエス=キリストは,その死後3日目にして復活したと言われているが,これを記念して祝う日。キリスト教ではクリスマスの次に重要な祝日とされている。しかし,その日の決め方には,「復活祭論争」と呼ばれた長い論争があった。初期キリスト教会では,小アジア教会(東方教会)が,ユダヤ人の過越(すぎこし)の祭りの日,つまりニサンの月の14日がその日であると主張したが,これに対してローマ教会(西方教会)の方は,キリスト復活の日曜日を重要視し,ユリウス暦ニサンの月の14日の次の日曜日,つまり過越の祭りに近い日曜日,春分以降の満月のあと最初の日曜日(3月22日〜4月25日ころ)を主張し両者は対立したが,この論争は2世紀後半に西方のローマ教会が勝利した。こうした暦法による算出の問題は,コンスタンティヌス1世が召集したニカイア宗教会議(325年)でも取り上げられ,アレクサンドリア式とユリウス暦の間で論争された。アレクサンドリア式は漸次西方に浸透したが,東方では20世紀になるまでユリウス暦に執着した。16世紀以降,西方ではグレゴリウス暦が普及し,さらに1963年には固定日曜日とする考えも原則として認められた。 このように,復活祭はキリスト教徒の過越とユダヤ人の過越,それに異教徒の春分祭などが絡みあって定着していったものである。つまり,ユダヤ教の過越の祭りがキリスト教成立後,イエス=キリストの死と復活を記念する祭りに変質し,その後さらにキリスト教が北方のゲルマン民族の方に布教を広めていくうちにそこでの異教徒たちの春分祭とも融合し,現在の形の復活祭が成立しできたわけである。このため復活祭の中の行事には,異教的習俗が受け継がれており変形してはいるが残っている。たとえば復活祭の前夜,ろうそくの祝列と徹夜のミサが行われるが,と同時に前夜には卵を食べ卵を供物にするところが多い。また彩色したり絵を描いた卵を贈り合い,子どもたちは町の家々をまわって卵をもらい集める風習がそれである。こうした卵はもちろん復活と多産の象徴である。復活祭の当日は朝早く戸外に出て日の出を迎えなければならない。その後,無言で川に行き川から汲み上げた水は美と健康を与え,また病気(とくに眼病)を治すと信じられている。もともと,復活祭の呼称については,ギリシア語やフランス語の場合,ヘブル語の過越を意味する Pesah から由来した Pascha(ギリシア語)あるいは Paques(フランス語)を用いるが,これに対して英語やドイツ語の場合,Easter(英語),Ostern(ドイツ語)などと呼ばれ,いずれもゲルマンの春の女神“Austro”からきたという説があるほどであって,その意味からもかなり異教的な内容が採り入れられてきたことがわかる。つまり,キリスト教がゲルマン民族の方に入っていくにしたがって,復活祭はしだいに本来の意味から春分的色彩が濃くなってきたと考えられる。この日を境に長かった冬の季節が終わり,やわらかい春の装いに移るという風習が前面に出できたわけである。
ゲルマン民族は,太陽の運行について四つの主要な時点−−冬至・春分・夏至・秋分−−で火焚(ひたき)祭りを行ってきたが,キリスト教の伝播によってこれらの祭りはそれぞれクリスマス・復活祭・ヨハネ祭・ミカエル祭に変形していったと考えられるのである。火のそばで歌ったり,ろうそくをともし教会に詣でる所もある。冬を象徴する人形がこわされたり,水の中に投げ入れられたりする所もある。また卵の殻などを畑に埋めて多産を祈る地方もある。ヤナギ・常緑樹の若枝が神の前に供えられ,雷や火事などを避けるまじないと考えられている。また復活祭の日は,教会の牧師は普段の日と異なり,道化話をして聞く人びとを笑わせる説教をするというおもしろい習俗もある。