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●不戦条約 ふせんじょうやく

AD1928 

 正式には,戦争抛棄に関する条約という。別名を締結地に因みパリ条約とも呼び,また条約締結に貢献したアメリカ国務長官ケロッグとフランス外相ブリアンの名をとって,ケロッグ=ブリアン条約ともいう。1928年8月27日パリでアメリカ・フランスのほかイギリス・ドイツ・イタリア・日本など15カ国がまず調印し,次いでソ連をはじめ63カ国が加入した。最初,1927年6月,ブリアンが第一次世界大戦後の国際関係の安定をめざし,国際連盟未加入のアメリカに2カ国間の条約の締結を提案したのに対して,ケロッグが多国間条約に拡大することを提議した結果成立した。ワシントン会議ロンドン会議ロカルノ条約などに連続する第一次世界大戦後の集団安全保障思想の重要な成果で,条約に終期が規程されていないので今日でも有効である。第1条は〈締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし相互の関係において国家の政策の手段としての戦争を搏棄することを各国の人民の名において厳粛に宣言〉しており,第2条は〈相互間の紛争,紛議は必ず平和的手段により処理,解決すること〉と約束している。このように条文の規程は抽象的で,条約違反に対する制裁条項を欠いている上,自衛のための戦争を是認したこともあって,日本の「満州国」樹立,イタリアのエチオピア併合,ドイツ=オーストリア合邦などを阻止する実力はなく,第二次世界大戦の発生を防止できなかった。日本は原署名国として内田康哉全権を調印式に派遣したが,国内では批准をめぐり第1条の「人民の名において」の字句が帝国憲法に抵触するという非難がおこり,そのため政府は批准にあたって,同字句は天皇の統治権を規程した大日本帝国憲法の条項に照らし,日本に限り適用されないと了解するという帝国政府宣言書を発表して決着をつけた。

〔参考文献〕大畑篤四郎「不戦条約と日本」『日本外交史の諸問題 II』国際政治28,1965,有斐閣