●布政使(司) ふせいし
アジア 中華人民共和国 AD
明・清代の地方官。藩司や方伯・薇垣とも呼ばれた。従二品。司とは官司の意でその衙門を意味し,正式には承宣布政使司という。洪武帝は1376年(洪武9)行中書省を廃止して全国に12の承宣布政使司を置き(後に13布政司が定制となる),布政使をその長官とした。さらに1381年(洪武14)には左右各一人としてその専権を防いだ。以上は明初の空印の案・胡惟庸の獄と時期を同じくし,君主独裁体制の確立に重要な意味をもつ。属官には左右の参政・参議があり諸道を分掌したほか,経歴司・照磨所・理問所・司獄司などの部局が置かれた。布政使は民政・財政を司り提刑按察使(刑獄・監察)・都指揮使(軍政)とともに一省の政務を管掌し“三司(藩司・ゲツジ※注1※・都司)”と並称された。三司はそれぞれ皇帝に直属し機構上は相互の連絡がなく,重要な案件は合議のうえで決定された。しかし三司の体制は敏速な対応を欠くことから,明代中葉以降は中央から総督・巡撫が派遣されて実質上の地方長官の権限をもち,布政使の地位は低下した。清代では総督・巡撫が定制となると布政使はその監督下に置かれるようになり,督撫に対しては詳文(上行公文の一種)を用いたり,特例を除いては皇帝に直達する権がなくなるなど,ほとんど属員の体裁となった。布政司の制は,現代の省にもつながる府・州以上の広域行政単位の確定であり,また君主独裁体制の発展と対応した官僚権限の分割化を示す一例であるとも言える。
![]()