●藤原頼通 ふじわらのよりみち
アジア 日本 AD992 平安時代
900〜1074(正暦元〜承保元)平安時代中期の公卿・摂政・関白・従一位・藤原道長の子。母は源雅信の娘倫子。通称宇治殿,法号蓮花覚のち寂覚。後一条・後朱雀・後冷泉家三代の天皇の摂政・関白で,父道長とともに藤原氏全盛時代を担っている。彼はまじめで温和であり,先例を守り諸事を取り扱ったが,弟教通は兄に協力せず,その上道長死後半年で1028年(長元元)6月平忠常の乱が起こり,都においても強盗放火乱闘がおき,伊勢・興福寺・宇佐が朝廷に圧力をかけるに至った。後冷泉天皇に入内した娘寛子に皇子がなく,外戚関係のない後三条即位により苦境に立ち,のち子の師実にゆずる約束で弟教通を関白にわたしたが,弟はなかなかの野心家であって生前には実現せず,失意のうちに出家する。道長の建てた法成寺が1058年(康平1)炎上し,その後教通が再建したが権勢を傾けたものが失われるなかで,1053年(天喜1)頼通は平等院鳳凰堂を建てている。