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●藤原頼経 ふじわらのよりつね

アジア 日本 AD1218 鎌倉時代

 1218〜56(建保6〜康元1)摂政藤原道家の第四子。母は太政大臣藤原公経の女棆子。幼名三寅。1219年(承久1)源実朝死後,初代鎌倉将軍源頼朝と遠縁にあることを理由に1226年(嘉禄2)征夷大将軍となった。すなわち鎌倉幕府の主となったが,その実はなく北条氏が実権を握っていた。頼経の官位はしだいに進み,1238年(嘉禎4)には執権以下を率いて上京し,検非違使別当権大納言に昇進している。1242年(仁治3)のころ北条泰時が死去し,北条経時が執権となると実家の九条家と北条氏とが疎遠になり,1244年(寛之2)に将軍職の辞任を迫られ,辞職し子頼嗣に譲っている。翌年出家して行智と称した。将軍辞職後も頼経は鎌倉にとどまり大殿を称していたが,北条氏の内紛にまきこまれ執権北条時頼を排撃する企てに加わったとされ京都へ送り返された。帰京後も九条家と北条氏との間の険悪化が進み,一族とともに勅勘を受けるなどし康元元年に死去している。時に歳39。