●藤原保則 ふじわらのやすのり
アジア 日本 AD825 平安時代
825〜895(天長2〜寛平7)平安初期の政治家。右大臣藤原継縄の曾孫,貞雄の子。866年(貞観8),備中権介となり,飢饉と悪政に苦しんでいた当国で公平適切な政治を行って治績をあげ,のち備前権守に転じてからも良政をしいて民衆から慕われ良吏の名を得た。次いで右衛門佐・検非違使となり断獄に意を用いた。878年(元慶2),出羽国の蝦夷が反乱を起こして秋田城を焼くと,右大臣藤原基経に献策して出羽権守となり,鎮守府将軍小野春風らと鎮圧に向かった。反乱の原因が圧政にあることを知ると,武力によらず適切な治策をもって当たってそれを服さしめ,秋田城を旧に復し東北の経営に功績をあげた。帰京後,播磨権守・讃岐権守・伊予守・大宰大弐を歴任し,それらの功績によって宇多天皇に登用され,891年(寛平3)左大弁,次いで参議・民部卿と進んだ。907年(延喜7),三善清行は,保則の功と徳を称えて『藤原保則伝』を著した。