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●藤原基衡 ふじわらのもとひら

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 生没年不詳。平安末期の奥州武将。平泉藤原氏第2代。1128年(大治3)藤原清衡の死後,相続争いが起こり,弟の御曹子を称していた基衡が兄小館惟常を殺して第2代の座を勝ち取った。父清衡が細心堅実に築き上げた創業の仕事を大胆剛腹に推進したのが彼である。白河法皇の近臣宗形宮内卿師綱が陸奥守として下向,宣旨に基づいて検注をし,基衡の押領を阻止しようとしたとき郎等の信夫庄司季春に命じてこれを妨害させたことが『古事談』や『十訓抄』に伝えられている。また左大臣藤原頼長が奥羽5カ所の摂関家領荘園の年貢を増徴しようとしたとき基衡が現地領主としてこれに容易に応ぜず,交渉が難航した経緯が,頼長の日記『台記』仁平3年(1153)の条に見える。毛越寺はその営むところであるが,堂塔四十余宇・禅坊五百余宇。その造営が都人たちの耳目を聳動させるものだったことが『吾妻鏡』に伝えられる。

〔参考文献〕高橋富雄『奥州藤原氏四代』1958,吉川弘文館