50音順    検 索

●藤原基経 ふじわらのもとつね

アジア 日本 AD836 平安時代

 836〜891(承和3〜寛平3)平安前期の公卿。藤原長良(ながら)の三男で,摂政藤原良房の養嗣子となる。864年(貞観6)参議に任じて公卿に列したが,866年の伴善男(とものよしお)の応天門放火事件では良房に代わって活躍し,872年(貞観14)右大臣に上り,同年良房の没後は事実上朝廷の首位に立った。次いで876年(貞観18),清和天皇が陽成天皇に譲位するにあたり,基経に勅して幼帝の摂政に任じた。しかし884年(元慶8)天皇と対立して退位を迫り光孝天皇を擁立。新帝はその功に報いるため基経に大政を委任し関白職の設置に道を開いた。次いで887年(仁和3)天皇の臨終に際し,基経は天皇の意向をくんで宇多天皇を位につけたが,天皇の近臣橘広相(ひろみ)の起草した詔勅に異議を申し立てて撤回させ,広相を失脚させて関白の詔を発布させた。世に言う阿衡の事件のことである。891年(寛平3)正月13日,56歳をもって没し追号を昭宣公という。