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●藤原通憲 ふじわらのみちのり

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 ?〜1159(平治1)平安末期の朝臣・学者。一般に信西(しんぜい)の法名が知られる。学者が多く輩出した藤原南家の出で,諸学に精通し当世無双の宏才博覧と称された。学者ゆえに官位が低く,1144年(天養1)少納言を最後に出家。円空と号し次いで信西と改めた。1155年(久寿2)後白河天皇の即位によって,妻朝子が天皇の乳母であったことからにわかに重用された。1156年(保元1)の保元の乱では源義朝らとともに天皇方に勝利をもたらし,乱後,絶大な権勢を得た。新立荘園の停止・記録荘園券契所の再興・大内裏の造営が大きな政治的事跡。その後,藤原信頼源義朝と不和になって平清盛と結んだことから,1159年(平治1)平治の乱がおこり,このとき信頼・義朝方に捕えられて殺された。伝存する『信西入道蔵書目録』は,信西が博識多才であったことを物語っている。自らは『本朝世紀』を編み,『法曹類林』を著している。