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●藤原秀衡 ふじわらのひでひら

アジア 日本 AD1122 平安時代

 1122〜1187(保安3〜文治3) 平安末期の奥州武将。平泉藤原氏第3代。父祖2代の業を承けてこれを磐石の安きに置くとともに,鎮守府将軍従五位下・陸奥守従五位上になって奥羽在地の政治としては頂上を極めた。中原では,京都の平氏と鎌倉の源氏の対立の中間に木曽義仲が割って入り激しい国争いを演じていたが,秀衡は,そのように源平東西に争うときの「北の第三勢力」として,大勢を決するキャスティング=ヴォートのようにみなされていた。源義経が兄源頼朝と対立し鎌倉を追われると,これを積極的に擁護これと同盟を結んで鎌倉の来るべき平泉侵攻を阻止しようとしたが果たさず,死後二年足らずで平泉は滅んだ。「北方の王者」の評がある。その営む無量光院宇治平等院をさながらに模し,堂内壁画には秀衡自ら観経曼陀羅の下品下生狩猟図を描いて,武人の極楽往生を祈ったと『吾妻鏡』は伝えている。

〔参考文献〕高橋富雄『奥州藤原氏四代』1958,吉川弘文館