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●藤原秀郷 ふじわらのひでさと

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 生没年不詳,平安中期の武将。俵藤太と呼ばれる。奈良時代の左大臣魚名の後裔で下野大掾村雄の子という。下野国で勢力を伸ばしていたが,916年(延喜16)一族18人とともに流罪とされた。のち許されて下野押領使となった。939年(天慶2)平将門が兵を挙げて関東を征圧すると,平貞盛と連合して翌年2月将門の本拠地下総国猿島郡に襲い誅殺した。この功により地方豪族としては破格の従四位下に叙され,下野・武蔵両国の守にも任じられた。その子孫は下野南部一帯を占める小山氏・佐野氏・藤原姓足利氏,下総の下河辺氏や結城氏など関東中央部の大武士団を形成した。また,京都でも武門の名家として重んじられて,紀伊の佐藤氏・尾藤氏,相模の山内首藤氏・波多野氏など広範囲に分布した。奥州平泉藤原氏も秀郷の裔という。