●藤原不比等 ふじわらのふひと
アジア 日本 AD659
659〜720(斉明5〜養老4)奈良時代初期の上級貴族官僚。藤原鎌足の二男で、母は車持君與志古娘(くるまもちのきみよしこのいらつめ)。名は史とも書き、689年(持統3)2月に判事に任ぜられて史料に登場し、698年(文武2)8月、詔によって鎌足の賜わった藤原姓は不比等とその子孫が継承することになって、中臣朝臣氏から独立した藤原朝臣氏が確立した。700年(文武4)6月、大宝律令の撰定で賜禄、701年(大宝1)3月、大宝官位・官員令の施行によって正三位に叙され、中納言から大納言に進んだ。707年(慶雲4)4月、鎌足以来の輔佐の功によって食封(じきふ)5,000戸を賜わったが、3,000戸を辞退、2,000戸を子孫に伝えることになった。708年(和銅1)3月に右大臣に昇進して地歩を固め、717年(養老1)には政府首班の地位を確立した。718年(養老2)ころに養老律令の編修を主宰し、720年(養老4)8月に薨じて、同年10月に太政大臣・正一位を贈られ、次いで760年(天平宝字4)8月に淡海公(たんかいこう)に封ぜられた。
