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●藤原広嗣の乱 ふじわらのひろつぐのらん

アジア 日本 AD740 奈良時代

 740年(天平12)9月,大宰少弐藤原広嗣(式家宇合の子)が九州大宰府に拠って起こした反乱。広嗣は藤原四兄弟の死後政治が左大臣橘諸兄,それと結んだ新帰朝のゲンボウ※注1※・吉備真備らによって動かされ,藤原氏が頽勢にあることに不満を抱き,上表してゲンボウ※注1※・真備を弾劾するとともに,これを除くためと称して九州の軍団兵さらに隼人などを加えた1万余の兵を集めて挙兵した。しかし大野東人を大将軍とする討伐軍との豊前板櫃川を挟んでの戦いに敗れて潰走し,広嗣は肥前国松浦郡で捕縛処刑され,乱は二カ月余りで平定された。しかし光明皇后の甥に当たる広嗣の挙兵は聖武天皇はじめ朝廷に大きな打撃を与え,天皇の伊勢行幸・恭仁京遷都が計画され,一方ゲンボウ※注1※が筑紫観世音寺,真備が肥前守に遷され大宰府も一時廃止された(天平17年復置)。またこの事件により藤原氏内部でも式家の勢力が一時衰え,代わって仲麻呂らの南家が台頭することとなった。

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