●藤原信頼 ふじわらののぶより
アジア 日本 AD1133 平安時代
1133〜1159(長承2〜平治1)従三位藤原忠隆の三男。母,中納言藤原顕頼の女。1144年(康治3)従五位下となり,土佐・武蔵守や近衛中将を歴任し後白河天皇の寵を被り,1158年(保元3)参議となり同じ年のうちに権中納言に昇進している。後白河天皇の退位後は上皇の院別当となり強大な権力をもつようになったが,院近臣藤原通憲と争い,通憲と平清盛が連携する中で孤立していた源義朝に近づき,1159年清盛が熊野詣でのため京都を留守にした隙をうかがい,通憲を除くクーデタを起こした。これが平治の乱であるが,脱出した通憲を追い殺害したものの急遽京都に戻った清盛の軍勢に攻められ,義朝らの奮戦にもかかわらず敗北してしまったので,仁和寺に逃げこみ御室覚性法親王に頼み助命を願ったが許されず,平氏に捕えられその窮問を受けた。清盛の息子平重盛は助命しても不都合はないと言ったというが,清盛はそれを聴かず信頼は六条河原で斬られた。ときに歳27。