●藤原俊成 ふじわらのとしなり
アジア 日本 AD1114 平安時代
1114〜1204(永久2〜元久1)平安時代から鎌倉時代にかけての歌人。最初は顕広(あきひろ)と称し,のちに俊成と改名した。「しゅんぜい」と読む場合もある。藤原道長から五代目の子孫で,世に五条の三位と称せられた。歌については〈歌はただ,よみあげもし詠じもしたるに,何となく艶にもあはれにも聞ゆることのあるなるべし〉(『古来風躰抄』)と言い,『万葉』『古今』の伝統に立脚し抒情性の豊かな歌風を確立した。また,平安時代末期の貴族階級に浸透していた無常観は終生変化しなかった。後白河院の命を受けた勅撰集『千載和歌集』の編者として著名であるが,家集に『長秋詠藻』『俊成家集』,歌学書に『古来風躰抄』『俊成卿和字奏状』『古今問答』,秀歌選に『俊成三十六人歌合』など。勅撰集入集歌は『詞花集』の1首を初め計421首と伝えられる。その指導下に愛息定家を筆頭に歌人群が輩出した。〔参考文献〕松野陽一『藤原俊成の研究』1973
谷山茂『藤原俊成―人と作品』谷山茂著作集2,1977
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