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●藤原仲麻呂の乱 ふじわらのなかまろのらん

アジア 日本 AD757 奈良時代

 藤原仲麻呂(706〜764)は左大臣武智麻呂の子。幼少より聡敏で算術経学に長じた。孝謙朝(749〜758)に光明皇太后を庇護者として権力の階段を上った。757年,反仲麻呂派の決起計画(橘奈良麻呂の乱)を鎮圧し覇権を確立した。自邸に起居した大炊王が即位した淳仁朝(758〜764)に太政大臣に就任(760)し,三人の息子を参議に任じ権勢を身内で独占した。しかし庇護者光明皇太后が没し,次いで孝謙上皇と天皇が道鏡の件で不仲になり,国政の大事は上皇が決する(762)ようになると政治的地位は揺らぎだした。仲麻呂の権力独占に反対する人々は結束し始め,これの一掃のため軍隊動員をはかったが上皇に密告された。仲麻呂軍は京中の戦いに敗れ近江越前に走った。しかし愛発(あらち)の関を突破できず,吉備真備の指揮する追討軍に敗れ,34人の妻子眷属とも琵琶湖西岸に斬られた(764年9月18日)。乱後淳仁天皇は廃され,上皇が重祚し(称徳天皇)道鏡が権力をにぎった。