●藤原仲麻呂 ふじわらのなかまろ
アジア 日本 AD706
706〜764(慶雲3〜天平宝字8)奈良時代の公卿,正一位大師(太政大臣)。武智麻呂の第二子,生来聡明にして経学と算術に精通していた。740年(天平12)の藤原広嗣の乱後,政界進出への機をつかみ,光明皇后の信任を得て大仏造立事業を推進,左大臣橘諸兄と対立するが,孝謙天皇即位に伴い皇后宮職の改組拡大された紫微中台の令(長官)となって諸兄の勢力をしのいだ。聖武上皇崩後,皇太子道祖王を退けて大炊王を立太子させ,757年(天平宝字1)橘奈良麻呂の謀反計画を押さえ,淳仁天皇即位によって右大臣に進んで政権を掌握,恵美押勝の姓名を賜わった。儒教主義政治を押しすすめて官職の称号を改め,養老令を施行して大師にすすみ,専権をふるったが,孝謙上皇が道鏡を信任したことから前途に不安を抱き,764年(天平宝字8)反乱を起こし,近江国高島郡の合戦で破れ妻子とともに斬られた。〔参考文献〕岸俊男『藤原仲麻呂』人物叢書153,1969,吉川弘文館