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●藤原種継 ふじわらのたねつぐ

アジア 日本 AD737 奈良時代

 737〜785(天平9〜延暦4)奈良時代の律令国家官僚。藤原朝臣浄(清)成の子,母は秦朝元の娘。弘福院大臣とも言う。766年(天平神護2)従三位下,美作守・近衛文将・紀伊守・山背守・左京大夫・下総守を歴任。880年(宝亀11)正三位上,翌年従四位下,桓武新政時となると昇進を速め,882年(元慶8)参議,884年中納言に進み,その後に長岡京使に命ぜられている。

 彼は光仁天皇末年より出世し,桓武の協力のため反対勢力の反発も受け,新京の造営視察中に大伴家持や継人らのクーデタによって負傷させられ,それが原因で自邸で死去している。また別説では継人に射殺されたとも言われる。いずれにせよ桓武天皇は種継の死に対し正一位・左大臣を追贈している。そのあと平安京への遷都に踏みきっている。それによって太政官内部において藤原武家の地位が低下したことを示すものである。809年(大同1)に太政大臣追贈されたのも,怨霊を鎮めるためもあったのだろう。