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●藤原忠通 ふじわらのただみち

アジア 日本 AD1097 平安時代

 1097〜1164(承徳1〜長寛2)平安後期の公卿。藤原忠実の長男。11歳で元服,即日正五位下に叙され,累進して19歳で内大臣に昇ったが,1121年(保安2)父忠実が白河法皇の怒りにふれて失脚した後をうけて関白になった。以後,鳥羽・崇徳・近衛・後白河4朝38年にわたって摂関の地位を独占したが,1158年(保元3)二条天皇の践祚にあたり関白を長男藤原基実に譲って隠退した。その間摂政を弟の藤原頼長に譲らせようとする父の意向にさからったため義絶され,藤原氏長者の地位を奪われさらに保元の乱(1156)で父や弟と敵対することになったが,それに勝利を収めて念願どおり摂関を子孫に伝え,近衛以下五摂家の始祖となった。1162年(応保2)法性寺(ほっしょうじ)の別業において出家,円觀と称したが,1164年(長寛2)2月19日,68歳をもって没した。世に法性寺殿と言う。生前より能筆の誉れ高く,その書風は法性寺流と呼ばれて尊重された。