●藤原純友 ふじわらのすみとも
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?〜941(天慶4)平安中期の地方貴族。従五位下。大宰少弐筑前守藤原長範の子として生まれた。左大臣藤原冬嗣の子である権中納言藤原長良の曽孫に当たる。承平年間(931〜937)のはじめころに伊予掾(いよのじょう)となり任地の伊予(愛媛県)に赴いた。しかし936年(承平6)ころまでには海賊の首領となり,伊予の日振島を根城として千余隻の船をもって周辺の海岸を荒らしていた。同年,伊予守として紀淑人(きのよしひと)が派遣されこの対策に当たる。淑人は海賊に寛大をもって処し,二千五百余人を帰降させることに成功。彼らには田畑を耕やさせた。しかし939年(天慶2)に純友は再び海賊となり,讃岐・阿波・摂津・土佐などまで足を伸ばした。このころ平将門の乱もおこり合わせて承平・天慶の乱と呼ばれる。翌年朝廷は小野好古らを追捕使(ついぶし)として派遣したが成功せず,さらに翌年純友らは大宰府にも侵入するに至った。それに対して好古らの軍は大宰府に純友を追討。今度は純友が敗れて,博多から伊予に逃げ帰ったところを捕えられ獄中で没した。