●藤原隆家 ふじわらのたかいえ
アジア 日本 AD979 平安時代
979〜1044(天元2〜寛徳1)平安時代の廷臣。関白藤原道隆の第四子,母は高階成忠の娘貴子。幼名は阿古。989年(永廷3)従五位下,994年(正暦5)従三位,翌年中納言に進んだが,兄伊周(これちか)が従者に花山上皇を射させた罪に連座し出雲権守に左遷,但馬に配流された。998年(長徳4)許されて帰京,兵部卿となった。1003年(長保5)正三位に進み,妹定子皇后の子敦康親王が皇太子になることを望んだが,一条天皇は道長に遠慮してそれを許さなかった。三条天皇の代になって目をわずらう。1009年(寛弘6)中納言,1014年(長和3)大宰権帥に,翌年正二位に叙せられ赴任した。1019年(寛仁3)刀伊(とい)の賊を撃退し,九州においては大いに功をあげたが朝廷から報いられることはなかった。失望した隆家は,この年,任を辞して京に帰ったが,1039年(長暦3,一説には長暦2)ふたたび大宰権帥に任ぜられたが1042年(長久3)辞任した。