●藤原鎌足 ふじわらのかまたり
アジア 日本 AD614 飛鳥時代
614〜669(推古22〜天智8)初めの氏名は中臣鎌子(なかとみのかまこ)で,藤原氏の祖。父は中臣御食子(みけこ)。664年(皇極3)正月に神祇伯に任ぜられようとしたが,固辞して三島(みしま,後の河内国三島郡)の別業に退居した。次いで645年(大化1)6月,中大兄皇子(後の天智天皇)らと結んで,蘇我氏本宗を打倒した乙巳の変に成功し,新政権の構成にあたって内臣(うちつおみ)に任ぜられて軍国の機要に参画した。そして中大兄皇太子とともに権力核を形成して政策の推進に重要な役割を果たした。668年(天智7)正月に中大兄皇太子が即位して天智天皇になると,地歩を上昇させてきた天皇弟大海人皇子との調整役を果たしたが,669年(天智8)10月,大織冠・内大臣の冠位・官職と藤原姓を賜って,同月16日に薨じた。56歳。この藤原姓は,中臣氏のうち698年(文武2)8月に子の藤原不比等が継承することになった。
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