●藤原家隆 ふじわらのいえたか
アジア 日本 AD1158 平安時代
1158〜1237(保元2〜嘉禎3)鎌倉時代の歌人。『新古今和歌集』の撰者。三十六歌仙の一人。壬生中納言藤原光隆の子。幼いころから鋭敏で和歌を藤原俊成に学んだ。俊成は,家隆が後に歌仙となるであろうと言ったという。藤原定家と並称され二人はお互いに許し合う仲であった。侍従・宮内卿を歴任,1235年(嘉禎元)に従二位に昇進している。翌年には出家して仏性と称した。定家に比べより自由闊達な歌をつくり,かつ多作で知られ頓阿の『井蛙抄』には家隆が6万首の歌を詠んだことが見えている。その歌集を『壬二集』と言い3巻から成り,他に歌論集『家隆卿口伝抄』を著している。『千載集』や『新古今和歌集』にその歌が多数とられ,当時の歌合にもしばしば名を列ねている。後鳥羽上皇が歌の師を藤原良経に問うたとき良経は家隆を推薦している。良経は家隆を当世の人麻呂と言ったという。家隆は後鳥羽上皇の親昵するところの歌人であった。世に壬生二位を称され享年80歳であった。